この日は、まむくんと共に「忠臣蔵ゆかりの地めぐり」をしました。
その後、牛若丸生誕の地へ。

まむくんと分かれた後、南禅寺から大文字山までモスラ号と目指しました。
大文字山を目指していると日が暮れかけてたので、モスラ号を置いて徒歩で先を急ぎました。
それでも時間的にやばそうだったので、火床を目前にしてUターン。
でも暗くなってきてほとんど視界が利かなくなる直前に、何とか無事にモスラ号と再会。
ところが日が暮れると月もなく、ライトを消すと目を開いていてもつぶっていても同じほどの暗さ。
電池式前照灯を3基点灯して、きつい山道を何とか下山しました。

本日の走行距離、約70km。(正確には72.55km)
本日の歩行距離、約8km。


2004年1月18日(日)




京都駅着。
前方に、まむくん発見!



この門は何だろうと思って見てみると、「南大門」でした。
名前は知っていましたが、こんな所にあるのは知りませんでした。



門の奥にも何かありそうなので、門をくぐりました。



門をくぐると三十三間堂でした。
何だ何だ?!
三十三間堂で何かあるようです。



おっと!
今日は無料で拝見できますがな。
寄っていこうっと!



三十三間堂は広くてとっても素敵でした。
撮影禁止なのが残念です。
外に出ると、またまた何だ何だ?!
武装蜂起?



武装蜂起ではありませんでした。
弓の大会があるようです。
成人の日に関係ある行事なのかもしれません。
来年は、1月16日が無料開放とか。
φ(..)メモメモ



「忠臣蔵ゆかりの地めぐり」第一番目の場所。
来迎院着。
大石内蔵助の親戚である卓厳和尚のこの寺の檀家に、内蔵助がなります。
境内に湧き出す名水が気にって、茶室「含翠軒」(正面の建物)を寄進。
茶の湯にかこつけて、ここで討ち入りの策を練っていたそうです。



来迎院の庭園。
大石内蔵助もこの庭を眺めたのです。



苔が生えた橋を渡って、次の目的地に向かいます。



法住寺着。
何とここは、先ほど寄った三十三間堂のすぐ前にありました。
ここには四十七士と浅野内匠頭の木像が安置されています。
本尊の不動明王は「身代わり不動」と言われ、大石内蔵助はここで大願成就を念じると共に、同志との連絡にも使ったとか。。



何と!
ここも今日は、無料で境内に入れます!



庭園。
広くはありませんが、よく手入れされています。



こんな石塔もありました。



法住寺を後にして、円山公園まで着ました。
ここに「寺井玄渓」の「夢」という碑があります。



石碑着。
円山公園の近くに住んでいた町医者の「赤穂藩医・寺井玄渓」。
寺井玄渓は大石内蔵助らを支え、そして討ち入りも希望した。
しかし81歳という高齢のため、大石内蔵助に止められ断念。
その代わり、義士の遺児たちの面倒を見たという人。
大石内蔵助らの切腹を知り、「人生ははかない夢のようだ」と感じて、近くの岩に「夢」という文字をこの岩に彫りました。.
力強い字体ですが、玄渓の悲しみの心で刻まれた石。



料亭「左阿弥」。
元禄15年に、内蔵助は同志を集め討ち入りを宣言。
その円卓会議の場所となったのが重阿弥ですが、今は同じ安養寺の塔頭の中で、ここ左阿弥だけが残っています。



料亭「左阿弥」全景。



次に、長楽寺へ。
先述の寺井玄渓がここに眠っています。



長楽寺は、とってもいい雰囲気のお寺でした。



長楽寺を後にして、花見小路四条の「一力」へ。
歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」で、大石内蔵助役の役者が討ち入りをカモフラージュするために遊びほうけていた場所。
実際の場所は、伏見の遊郭「よろずや」。
よろずやの石碑は、今でも墨染にあるとか。
ここで、市内中心部の「忠臣蔵ゆかりの地めぐり」を終えました。



少し距離を走って、北区紫竹牛若町へ。
ここは、「弁慶と牛若丸」で有名な牛若丸の、産湯跡。
この井戸跡の残る一帯は「牛若町」で、牛若伝説が多く残ってるそうです。



右奥の松の根元に「胞衣塚」(えなずか)があります。
胞衣とは胎盤の意味だそうです。
この場所を教えてくれた人は、ここに牛若丸のへその緒が収められたと教えてくれました。



まむくんとお別れしました。
「御所の細道」通過。
大文字山を目指します。



大文字山が見えてきました。



大文字山の麓の銀閣寺に向かう途中に、こんな大きなお地蔵様がありました。
鎌倉時代の石仏です。
「子安観世音」で、古来より往来の人々を守ってきました。
商いに出る時には今でも白川女はここに花を供えるほど、あつい信仰を受けています。
この日も新しい花が、いっぱい供えてありました。
大原女の皆さんがお供えしたのでしょうか・・・・。



南禅寺を通り過ぎて、疎水まで着ました。



インクラインの軌道敷きのトンネルの手前で左折。
日向(ひむかい)神社を目指します。



インクライン(傾斜鉄道)の軌道敷跡。
自由に通行できます。



かつてインクラインを往復していた船。



レンガ造りのレトロな発電所跡。



日向神社から、大文字山を目指します。
「天の岩戸」がありました。



汗を滴らせながら、標高を揚げます。
やっとこさ、京都市街の展望が見える所にきました。



残雪がありました。
次第に薄暗くなってきたので、この少し先でモスラ号を置いて徒歩で先を急ぎます。
写真ではとっても平坦な道が写っていますが、実際にはかなりきつい傾斜の上りがありモスラ号を押していては暗くなってしまいます。



大文字山の三角点。
ここからまだかなり歩いて、あと少しで火床という場所で、引き返しました。
帰路では、真っ暗になる寸前で置いていたモスラ号を何とか発見!
月が無く星も見えない空で漆黒の闇。
その中を、電池式のモスラ号の前照灯をフル点灯して下山。
ライトを消すと真っ暗。
ためしにライトを消して目をつぶってみましたが、目をつぶってから目を再度開けても目をつぶっている時と同じ。
つまりライトの光がないと、何の光も無い世界。(@_@;)
そんな道を、何とか下山できました。
下山して初めて電気の光が見えた時には、心底ほっとしました。


京都って、本当にいろんな所がある。
今回も強く、そう感じました。
牛若丸の産湯を使った場所。
あまりにも知られていませんが、実際にありました!


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