「忠臣蔵ゆかりの地めぐりU」で、京都市内を走りました。

本日の走行距離、約60km。(正確には58.23km)


2004年1月24日(土)


大石内蔵助が討ち入りをカモフラージュするために、遊びほうけていた場所。
遊郭「よろずや」跡に来ました。



石碑だけがひっそりと、時間を越えてたたずんでいました。



次の目的地に向かう途中に、「六道珍皇寺」(ろくどうちんのうじ)の案内標識がありましたので、寄ってみました。
現世とあの世の境と言われている「六道の辻」の石碑が門前にあります。
「幽霊子育て飴」を売っているお店も、この近くにあります。



「六道珍皇寺」の境内。
境内は、フリーで参拝できます。



この六道珍皇寺の閻魔堂には、閻魔大王と小野篁(おののたかむら)の像が安置されています。
小野篁は昼間は宮廷に仕え、夜は珍皇寺の井戸から地獄に通って閻魔大王に仕え 裁きを手伝ったという、奇妙な伝説が残る人物。
その井戸は「冥土通いの井戸」ということで、この写真の場所に保存されています。
ただその井戸は、格子を通して見ることができるのみで、近づくことはできないのが残念です。



楽しいお食事、ランララ〜ン。♪
六道珍皇寺を後にして、円山公園に着きました。
昼食で〜す。♪
今日も、鳩におすそ分けをしました。



円山公園を後しにして、京都らしい街並みを眺めながらのんびりと、聖光寺を目指して走ります。



寺町電気店街の通り沿いにある聖光寺に来ました。
義士達に討ち入りの武器を調達し資金面でも援助した義商「天野屋利兵衛」(墓には「安田好時」の名)や、ここにかくまわれていた大石内蔵助の母「お熊」がこの寺に眠っています。



討ち入り前に捕まってしまった利兵衛は、拷問を受けます。
しかし、決して白状しませんでした。
「天野屋利兵衛は男でご座る」!!
いよ〜利兵衛、日本一!



境内は、こんな雰囲気。
なぜか犬がいて、ヘルメットにサングラス姿の私が怪しかったのか、思い切りほえていました。(@_@;)



聖光寺を後にして、多くの目的地がある山科を目指します。
東山五条から五条通りを東進しようとしまいたが、自転車が東進できませんでした。
そこで、細い傾斜のきつい道を走っているとこんな標識が。
左はいいとして、右に行けば大仏?!
京都に、大仏が!!??
緊急に調査しなくては!



山科の、内蔵助を祭神とする大石神社着。



境内には、内蔵助の大きな絵馬がかかっています。
あの義商・天野屋利兵衛も、ここに祭られています。



宝物館内部。
木村拓哉が来たことがあるようです。



宝物館には、様々な資料が展示されています。
宝物館も、見学フリー。



討ち入りの12/14(木)には、毘沙門堂から大石神社まで四十七士に扮した義士列が歩く「義士祭り」があります。



大石神社を後にして、岩屋寺を目指します。
岩屋寺一帯が、浅野内匠頭切腹後約1年に渡り内蔵助が親戚を頼って隠れていた場所です。



時間がなかったので見ませんでしたが、本堂には内蔵助の肖像画や、手紙、それに秘密の金庫をはじめ様々な物が保存されています。



境内は、とっても静かでした。



「花山稲荷神社」着。
内蔵助が、討ち入り成功を祈願した神社の1つです。
拝殿前には内蔵助が腰掛け、食事を忘れるほど根を詰めて討ち入りの秘策を練ったと言われる「断食石」。
本殿を囲む塀の中には同志の心を試そうとした内蔵助が血判の台にしたという「血判石」などがあります。
ただ・・・。
今日の走りの参考になることを印刷したものをここに来るまでに落としてしまい、「断食石」も「血判石」のどちらも見ることができませんでした、(T_T)



次に「瑞光院」に行く予定でした。
でも、印刷した資料を落としてしまっていたので、「瑞光院」というお寺を誰に聞いても分からずある人から「瑞心院ならある」ってことで、そこかと思い、瑞心院に来ました。
でも、結局ここは違いました。
残念ながら「瑞光院」に行くことはできませんでした。



瑞心院は、小野小町ゆかりの寺でした。
小野小町が、ここで化粧したのでしょうね。



小野梅林。
まだ花は咲いていませんでした。



瑞心院。
宇治市からさほど遠くありません。



帰路で、久しぶりの夕陽を眺めました。
宇治川沿い右岸を南下し、宇治にいたりました。


「京都の大仏」。
そんなのが、あったとは!
さっそく調査して、跡地を走ってみたいと思います。
いやいや自転車、次から次に新しい発見があります!


チャリ旅3へ戻る


inserted by FC2 system