朝から雑用の片付け。
片づけが終わった後、午前11時頃から妻と京都御所に梅を観に行きました。
ホカ弁でも買って御所の梅林で食べようと思っていたのですが、寒かったので断念。
結構開いてきた美しい梅を御所の梅林で楽しんだ後、昼食はラーメンにすることにしました。
ラーメン激戦区の京都市街北部で勝ち抜いている「高安」という店を探し回って、やっと見つけたと思ったら「定休日」の非情な札が。
毎週月曜日と、月に一回だけ28日が休みでした。(T_T)
仕方がないので、ほかの店で食べました。
午後からは、単独で京都市内ポタ。
京都の歴史と不思議に触れる走りになりました。


本日の走行距離、約60km(正確には59.18km)


2004年2月28日(土)



御所の梅林の梅を、妻と観に来ました。
かなり咲いていました。
梅の樹の種類が多く、満開のものもあればまだ全く咲いていないものも。
驚いたことに、樹によって花の香りが異なりました。



いったん帰宅し、午後3時頃から京都市内までモスラ号でやって着ました。
古墳時代に朝鮮半島から渡来し、様々な文化を日本に伝えた秦氏ゆかりの「蚕の社」着。



不思議な、三本柱の鳥居。
境内西側にあります。
何ともいえない、言葉では表せない一種独特の雰囲気が一面に漂っていました。



蚕ノ社を後にして、蛇塚古墳着。
現在は後円部の石室だけが残っていますが、もともとは奈良の石舞台よりも大きい日本最大級の古墳です。



以前、石室の隙間に無数の蛇がいたことから「蛇塚」と呼ばれるようになったと、説明板に書いてありました。



京都市街地にあるのに、ほとんどと言ってもいいくらい人に知られることなく、ひっそりと存在するこの蛇塚古墳。
京都の不思議さを、心から実感します。



古墳の周りには住宅が建ち並び、古代の雰囲気と現代の生活のにおいが同居する空間になっています。
これも京都の顔の一つなんでしょうね。



蛇塚古墳を後にして、「牛祭り」という奇祭が行われるので知られている(そうです)大酒神社着。
祭神は秦始皇帝とされており、秦氏との関連が指摘されていますが、諸説ある模様。



現在では「大酒」となっていますが、かつては「大避」あるいは「大闢」とされていたようです。
この「大闢」は中国では「ダビデ」を意味するそうです。
となると、この神社の名前はユダヤの王を表しているのかもしれません。



大酒神社を後にして、京都御所に来ました。
朝に続いて、今日二度目の訪問です。
ここは、御所の築地堀の東北の鬼門にあたります。
角ができないように、内側に引っ込ませてあります。



パッと見た感じでは分かりませんが、実はひさしの内側をよく見ると木造の猿がいるのです。
ゆえにこのあたりは「猿が辻」と呼ばれることもあります。



この木造の猿には金網がかぶせてあります。
この金網は、木製の猿を保護するためにかぶせてあるのではないとか。
御所の鬼門を守るために日吉大社から遣わされたこの猿、夜な夜な逃げ出して通行人に迷惑をかけたため、金網を張って封じ込められてしまったそうです。



御所を後にして、上品蓮台寺に来ました。
この界隈には妖怪土蜘蛛が棲んでいたそうです。
数々の武勇伝がある源頼光が原因不明の熱病で苦しんでいたある夜、お坊さんの姿をした妖怪が現れ頼光に蜘蛛の糸を投げかけたとか。
頼光は刀で蜘蛛を切りつけ、傷ついた蜘蛛はここ蓮大寺の古塚に逃げ込んだそうです。



上品蓮台寺には誰もいないと思っていたら、奥の方にかわいらしい欧米系の女性がたった一人でいたので驚きました。
私の姿を見た彼女は、私の顔を見てにっこりと微笑みました。
私も微笑み返しましたが、日暮れが迫っていたのでそのまま声をかけることもなく彼女の前を通り過ぎました。
彼女はきっと、近くの仏教大学の学生さんかなんかなんでしょうね。



帰路で日没を迎えました。
「不思議の都」京都の街が、もうすぐ夜の帳に包まれる時間帯。(^_^;)
早く家に帰ろうっと!


私がこれまで全然知らなかった京都。
観光地というだけではなく、1200年の歴史に包まれた京都の街。
不思議がいっぱい!
自転車だからこそ触れることができた、この京都の歴史と不思議さ。
京都って、こんな顔があったんですね!!


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