雨という予報のため、2回も延期せざるを得なかった「京都ミステリーツアー」。
この日、「3度目の正直」で開催できました。
出発地点の流れ橋では、yossieさんとまっぴぃさん、それに小径車で参加してくださった かいとさんと合流。
私を含めた4人で、走り始めました。
途中で、大阪から駆けつけてくださった ともじんさんとも合流し総勢5人に。
京都市街地を、東西南北縦断した走りに加え、大文字山登山と狸谷攻略。
心おきなく走りきった帰路で、京あられさんと合流。
解散地点では、総勢6名でした。
ともじんさんとyossieさん、それにまっぴぃさんは、アクティブな一日が終わり日が沈んでから自走で大阪へ向けて帰路に。
往復自走+現地行動。
これってまさに、私の走りのパターンと完全一致ですがな。(#^.^#)

本日走行距離、約95km。(正確には93.93km)



2004年3月7日(日)





休憩〜!
yossieさんとまっぴぃさん、それに かいとさんと私godzillaの合計4名で、流れ橋を出発。
巨椋池(おぐらいけ)干拓田内の道路を、強風に悩みながら北進します。



三栖閘門着。



三栖閘門の展望台から、観月橋方面を望む。



ここは、琵琶湖〜京都〜大阪の関連を一番強く感じる場所です。



三栖閘門下にある資料館。
入場フリーで、冷暖房完備でトイレもフリー。
近くに行かれたら、休憩を兼ねてぜひ寄っていただきたいスポットです。



出会い橋。
本当にロマンチックな名前の橋です。



各倉了以って??
聞いたことはありますが・・・・。(^_^;)



何度見ても伏見のよさを感じる場所です。



ここも素敵で、来るたびにカメラのシャッターを押してしまいます。



ここも、最高のスポット。



明治維新のメインステージとも言える史跡・寺田屋。
討幕急進派が寺田屋に集まって決起を企てた「寺田屋騒動」で有名
ここは坂本龍馬の定宿で、龍馬と おりょうさんとの恋の宿でもあったのです。



当時のままの井戸が残されています。



寺田屋跡を後にして、酒かすラーメンで有名な玄屋に来ました。
酒どころ伏見の名物の一つが、言わずと知れたこの「酒かすラーメン」。
750円の辛味酒かすラーメンを奮発しました。(酒かすラーメンは700円)
おいしかったぁ!!(#^.^#)
絶品です。
ただし、これは昼食ではありません。
午前11時半のおやつ(?)です。



お腹がふくれたので、自転車をひとっ漕ぎ。
先週に続き、城南宮にやってきました。



盛りは過ぎたものの、シダレ梅が見事でした。



美しい梅が咲き誇る城南宮を後にして、かつて「京都大仏」があった方広寺目指して城南宮を後にします。



方広寺着。
早速お寺を拝観します。
この写真は「眉間籠り仏」。
京都大仏は以下の歴史をたどります。
1585年:豊臣秀吉の手で大仏殿工事開始
1594年:大仏完成。
1596年:近畿地方を襲った大地震で大仏は大破。
1602年:鋳造途中の大仏炎上。
1612年:死去した秀吉の遺志を継いだ秀頼が銅製大仏を完成。
1662年:近畿を襲った大地震で大仏倒壊。
      銅製大仏は、徳川氏により「寛永通宝」に改鋳される。
1664年:木造大仏完成。
1798年:落雷で大仏焼失。
      その後、天保時代に木造半身像が尾張・伊勢・美濃・越前の人々の寄進でされます。
1973年:木造半身の大仏像が再び火災で焼失。
でも歴代の大仏の額に納められていたこの「眉間籠り仏」だけは、ずっと残って今日に至っています。



豊臣秀頼再興の2代目大仏。
元の大仏の10分の1の大きさ。



高さが19mあった大仏の、実物の蓮華座。
触ることもできます。
触ると冷たくって、とっても不思議な感覚でした。



左甚五郎作の竜。
大仏殿内部の欄間の飾りでした。
とってもリアル。
って言っても、本物の竜は見たことがありませんがね。(^_^;)



大仏殿の柱の金輪。
柱の大きさが分かります。
中のものは、銅製の蓮の飾り。



白くかすんだ部分は、よく見ると人の形に見えるそうで。
皆さんには、この白くかすんだ部分が人の形には見えますか?
どう見ても、私にはそうは見えません。(T_T)
これは淀君の亡霊が浮かび上がっているのだと言われており、「大仏七不思議」の1つになっています。



大仏殿跡緑地。
かつてはここに大仏殿があった時もありました。(大仏殿の位置は、大仏が壊れて再建されと場所が変わったこともあったようです)



六道珍皇寺に寄った後、京都名物・幽霊子育て飴を買いました。
子育て幽霊の話は、各地にありますね。
でも他の場所と違ってこの京都では、なんとその当時の飴屋さんの子孫が今でもおられるのです。
飴を売っているお店の方がその子孫かなって思っていたら、残念ながらそうではありませんでした。



円山公園内の「夢」の石碑着。
円山公園の近くに住んでいた町医者の「赤穂藩医・寺井玄渓」。
寺井玄渓は、ご存知「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助らを支え、そして討ち入りも希望した人物。
しかし81歳という高齢と医者という身分のため、大石内蔵助らに止められ討ち入り参加を断念。
その代わり、義士の遺児たちの面倒を見たという人。
大石内蔵助をはじめとする人々の切腹を知り、「人生ははかない夢のようだ」と感じて、近くの岩に「夢」という文字をこの岩に彫りました。.
力強い字体ですが、玄渓の悲しみの心で刻まれた石。



平安神宮の超巨大鳥居。
何度見ても、その大きさに驚愕します。



南禅寺近くの水路閣着。
この水路閣は古代ローマの水道橋がモデルと言われています。
この上には今でも水が流れており、この上の水は哲学の道へと流れていきます。



インクライン(傾斜鉄道)跡地。
同行した方のお一人から「電車は来ないんですか?」って尋ねられました。
それほどリアルに保存されています。
ちなみに、このインクラインの旧線路敷は出入り自由で、今は遊歩道になっています。



インクラインを上がりきったところにある疎水公園。
そこから少し日向(ひむかい)神社に向かって階段を上ると、このロマンチックな旧発電所を見ることができます。



南禅寺を後にして、銀閣寺横から大文字山を目指しました。
登山口までのダートを自転車で上がり、登山口に自転車を置いて徒歩で山を登りました。
登山道で「体が重い・・」という参加者の方の呟きが聞こえてきましたが、心の中で「フレーフレー」と応援しました。
そして、火床着。



短いながらも、結構急な坂を上って八大(はちだい)神社着。
宮本武蔵が下がり松の決闘に向かう時に立ち寄った神社であると、吉川英治著「宮本武蔵」で記されていることで有名だとか。
吉川英治って作家が創作したわけではないでしょうから、きっとそういう話が昔から伝わってきたんしょうね。



境内の宮本武蔵像。



八大神社を後にして、更に傾斜がきつい坂を狸谷山不動尊を目指し漕ぎ上がります。
狸谷山不動尊着。



雪をかぶったかわいい狸が、私達を迎えてくれました。



この雪は、今日降ったものです。
日中にこれほど積もる雪が降る中の走りでした。



とっても静かな境内。
他には誰も人が見えません。



武蔵の厳しい修行の場だった場所。
建物も、険しい山肌にへばりつくように建っています。
建物を支える基礎の柱が、まるで清水の舞台の柱のように見えます。



狸谷を後にします。
次は、牛和歌丸ゆかりの地へ!



牛和歌丸の産湯井戸跡地。
「牛若町」という町名の場所に、この石碑は建っています。



ここも、牛和歌丸の産湯井戸跡地。
なぜか2ヶ所の井戸跡があります。



石碑のすぐ近くに「胞衣塚」(えなずか)があります。
見えにくいですが、石の左下に「胞衣塚」の文字が見えます。
胞衣とは胎盤の意味だそうです。
以前この場所を教えてくれた人から、ここに牛若丸のへその緒が収められたと教えてもらいました。



牛若町で京あられさんと合流。
京あられさんに、壬生寺まで案内していただきました。
でも壬生寺はすでに門が閉まり、真っ暗でした。(T_T)



京都のよさを、かつて私はほとんど感じませんでした。
でも自転車で走れば走るほど、京都のよさが見えてきました。
その魅力的な京都を、今日は新しい仲間と共に走ることができた、とっても嬉しい一日でした。


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