朝から降り始めた雨は、午後3時前になってやっとやみました。
雨が上がってから、3時間ほど京都市内ポタ。
京都って、いくらでも行ってみたい場所があります。


本日の走行距離、約40km(正確には40.03km)


2004年3月20日(土)



やっと雨が上がりました。
早速家を出て、そして伏見着。
水が少ない疎水に沿って北上。



東福寺着。
今日の目的は、当然「紅葉」ではありません。
今日の目的は、ここ東福寺にあるという「魔王石(まおういわ)」。



東福寺境内の「五社宮」着。
五社宮の祠の手前左側に、「魔王石」が祀られているのを見つけました。
「魔王」とは、牛若丸に剣術の指南をした、鞍馬山のあの「サナート・クマラ」です。
この東福寺が、牛若丸と鞍馬にかかわりがあったなんて全然知りませんでした。



東福寺を後にして、三十三間堂近くの養源院へ着きました。
ここは秀吉の側室である淀君が、父の浅井長政の供養のために建てた寺。
養源院は、火災で焼けたが再建されました。
その際、伏見城の遺構を使ったのですが、その遺構に伏見城で討ち死にした徳川将兵の血が付いていたとか。
その血痕は今でもあり、雨の日には天井から赤黒いものがしたたり落ちとかで「血天井」として、有名です。



拝観料300円が要るので、私はここまででパス。
内部には入りませんでした。
でも・・・・。
私の頭の中には、京都の歴史を深く探るにつれ決定的に大きな疑問が浮かんできました。
それについてはまたこれから散々書くことになりますが、それは一言で言うと「庶民の怨念は?」ってことです。



梅小路公園に来ました。
今日は、菜の花を楽しみました。



梅小路公園を後にして、梅小路公園」と同じ下京区の「光徳公園」までやって来ました。



公園内では、早咲きの桜が満開!!
春ですね!



光徳公園には、早咲きの桜の木は2本しかありません。
それでもとっても美しい桜が咲いているのを見て、心は一気に春になりました!



光徳公園を後にして、「松原道祖神社」を目指します。
かつての「五条通り」である松原通り。



かつての「十念の辻」である、松原新町。
江戸時代には、毎年12月20日に「果ての二十日」ということで、処刑が決まった囚人達が洛内引き回しの上一条戻り橋で「来世は真人間になって戻って来い」と申し渡されます。
その後この松原新町で、お坊さんから念仏を受け刑場に赴いたそうです。
司法制度などないに等しい時代。
囚人の中には、冤罪(えんざい)の人も多数いたはず。
今では平穏なこの交差点を見てその時のことを考えると、胸が痛みました。



松原道祖神社。
宇治拾遺物語の第一話が、ここに住むという「塞翁」の話だそうです。
牛若丸と弁慶が出会ったのが「五条天神」との説もあり、この松原道祖神社は元々その五条天神と同じ場所にあったようです。



松原道祖神社はとっても小さな神社。
でもこの神社には、とっても多くの歴史があります。



親鸞聖人。
ほとんどの人が、その名前を知っているはず。
その親鸞聖人は、この西洞院松原で天に召されたって内容の石碑がありました。
何だかこの辺り、とってもすごい歴史があるようです。



今日は長男の公立大学合格記念の祝賀会を催します。
だから京都市内を早めに後にして、帰路に着きました。
観月橋で夕陽を眺めます。


午後遅くから3時間ほどの走り。
京都。
不思議がいっぱいの街ってことが、益々分かってきました。


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