今日は,、豊臣秀吉が造った京の都の周囲をぐるりと囲んでいた「御土居」跡の完全走破に挑戦。
御土居は秀吉の没後、ほとんどが取り壊され今日まで保存されているのは、ほんのわずか。
TOMさんの魔界ツアーで、初めて御土居を見て「こんなものが京都にあったのか!?」って驚きました。
これまでは「御土居」の存在自体を知りませんでした。
だからその御土居跡を初めて見て、「モスラ号で走って現存する全ての御土居を見たい」って思いました。
そこで先週の日曜日に、御土居跡めぐりに挑戦しましたが、場所が分からない所があり失敗。
そして2回目の挑戦のこの日、とうとう御土居跡完全走破ができました。
御土居跡完全走破に加え、土蜘蛛塚や船岡山などこれまで気になっていた場所も訪れることができました。
今日もあちこち走りましたが、益々京都の歴史の奥深さを実感。

本日の走行距離、約80km。(正確には81.14km)


2004年3月21日(日)




伏見から疎水沿いに北上します。
疎水沿いには、美しい雪柳の花が咲き誇っていました。



東寺の横を通過しようとすると、東寺がフリーで入場できるようでした。
東寺の中には一度も入ったことがないので、寄ってみました。
でも・・・・。
すごい人出。(^_^;)



東寺の境内は、人が多いことを別にすればとってもいい雰囲気。
でも人が多く歩くのに時間がかかるので、少しだけ境内を参拝してまた走り出しました。
門前で、年金生活者の団体が署名活動をされていましたが、もらったチラシの趣旨を読んで賛同しましたので署名しました。
その署名活動中の方も、自転車でそこそこ長距離を走るんだって話されていました。
いやいや自転車って、やはり年齢を問わないスポーツですね!



西大路御池交差点の北側で、西大路通りより一つ東の通りにある市五郎大明神。
この中に御土居跡があります。



最初の御土居跡着。



御土居跡の上部は、うっそうとした緑に覆われています。
かつてはここに竹が植えられていました。



住宅側から見た御土居跡。



2番目の御土井跡。
北野天満宮の有料ゾーンにあります。
この写真に写っているのは、御土井ではありません。
御土居はここから右側の川に下った所にあるようです。



北野天満宮の本殿前にある1855年に奉納された河原町大黒天。
下部に大黒様が彫られていますが・・・・。



この大黒様。
鼻の穴が異常に大きく、鼻と口との区別もできないほどです。
実はこれは、この辺りに住んでいた博徒が「勝ちますように」って大黒様の頭から砂をかけたら何と不思議!大勝ちしたそうです。
それ以来、賭博前に砂をかけに来る博徒を見た参拝者が「それほどお金が貯まるなら」と彼らも砂かけを始めました。
それがいつしか砂かけでは収まらなくなり、鼻の穴に小石を突っ込むようになったそうです。
そしてその結果、大黒様はこのような姿に・・・・。
恐るべし、人間!(@_@;)



渡辺綱が寄進した灯篭。
ある夜、渡辺綱が任務を終え帰宅途中に、一条戻り橋で欄干にたたずむ女性を発見。
時は深夜。
渡辺綱が「夜道は物騒だ、送っていきましょう」と声をかけると、女は美しい顔を上げて「お言葉に甘えます。どうかお送りください。よろしくお願いいたします」と言います。
渡辺綱が橋を渡ろうとしてふと月明かりで川面に映った女の顔を見ると、その顔は何と身の毛もよだつほどの恐ろしい鬼女の顔!!
正体を知られたことを感づいた鬼女は、綱の襟首をつかんで空中高く舞い上がりました。
綱は渾身の力を込めて腰の刀で鬼女の腕を切り落としたところ、空中から北野天満宮に建物を突き破って落下するものの事なきを得ました。



綱は、自分が無事であったのは、北野天神の加護ゆえと考え、その御礼にこの石灯篭を寄進したそうです。
この灯篭は、北野天満宮の本殿内にあります。
そんなことをほとんど誰も知らない今、この石灯篭だけがひっそりとたたずんでいました。



北野天満宮敷地の南西にある「東向観音」の境内にある「土蜘蛛塚」。
石灯篭のようです。
この石灯篭は、源頼光の「土蜘蛛退治」と関係があるもののようです。
元々はここに「あったものではなく、一条七本松の辺りにあったようですが、様々な経過を経てこの観音寺に納めらました。



もう一つの「土蜘蛛塚」がある上品蓮台寺に来ました。
とっても美しい桜が咲いていました。



境内では、タンポポも咲いていました。



上品蓮台寺の土蜘蛛塚。
「土蜘蛛」とは、大和朝廷側から見た先住民であったとの説が有力です。
もしそうだとしたら、それまでの平穏な生活ばかりか生存さえも否定され、朝廷側に何もかも破壊され蹴散らされながらも捨て身のゲリラ戦で抵抗を試みた先住民が、「土蜘蛛」だったのかもしれません。
ひよっとしたら、恨を残しながら果てていった先住民の祟りを恐れた大和朝廷側によって建てられたのが、この塚だったのでしょうか。
あくまでそれは、私の想像でしかありませんが・・・。
なお、この「土蜘蛛」という呼び方は各地にあるようですが、「大和国家の側が征服した人々を異族視してつけた賎称」との説もあります。



上品蓮台寺を後にして、堀川通り鞍馬口を下った所にある日本最古の水火天満宮着。
菅原道真の怨霊が火事や雷となって大災害を引き起こしたということにちなんだ神社で、水難火難避けの神として信仰されています。



北野天満宮まで戻って、3番目の御土居跡へ。



私が、魔界ツアーで初めて見て驚いた御土居跡がここです。
北野天満宮の少し北にあります。



4番目の御土居跡。
紫野西土居町にあります。
住宅街の中にあり、探すのがとっても大変でした。



5番目の御土居跡。
北区鷹峯の旧土居町にあります。



御土居跡は公園として整備されていますが、日曜日なのに人は誰もいませんでした。
このベンチのある場所が、御土居の最上部です。
かつては竹が植えられ、秀吉はその竹を無断で切ることを固く禁止されていました。



近くには、こんなお店も。
ここの御土居もちは、とってもおいしいそうです。(#^.^#)



石碑がありますが、御土居跡はもう少し北西にあります。



おまんじゅう屋さんから10mほど北に行った所にある焼肉屋さんの看板のところで左折。
ここが、今まで北上して見てきた御土居西側の南北に走る御土居の終点。
6番目のこの御土居跡のこの部分から、御土居は東へと伸びていきます。



今日もカラオケの声を聞きながら、御土居跡を眺めます。



7番目の御土居跡に来ました。
玄琢下バス停近く。
御土居の北側の辺にあたる、東西に伸びる部分の一部です。



かなり大規模な御土居跡。



保存のために、柵がありました。



8番目の御土居跡。
大宮交通公園着。



しっかりと保存されています。
でも私が見ている前で、幼稚園児くらいの子どもが何人も柵を越えて御土居の中に入っていきました。
子どもにとっては管理された交通公園の施設より、こうした土手で遊ぶのが面白いんでしょうね。
注意しようと思いましたが、やめました。
「子どもが入れる高さの柵しかないので子どもは入るわなあ」って思いましたので。



9番目の御土居跡。
ここは御土居の北東角近く。
御土居はこのあたりで、東側の南北部分になります。
鴨川近くにあるこの場所も、かなり分かりにくかったです。



規模は小さいものの、やはり御土居跡であるってことがわかります。



9番目の御土居跡から南進して少しした所に、御土居跡らしき場所を見つけました。
竹も茂っているし、位置的にも御土居の可能性が高いと素人の私にも分かります。
でも「御土居跡」との説明は、ありませんでした。
民有地になっているようです。(>_<)



10番目の御土居跡がある盧山寺着。
御土居跡は全部で10ヵ所。
ここ盧山寺が、10ヵ所目の御土居跡です。
とうとう、御土居跡完全走破を達成することができました!



この盧山寺は、かつて私が通っていたr命館大学と敷地を隣接した北側にありました。
「ありました」って過去形を使っているのは、r命館大学が衣笠に移転したからです。
今はこの盧山寺の南側にある建物は、もう私の母校ではないのです。(T_T)
最後の10番目の御土居を、かつて私の母校があった敷地に隣接する盧山寺で見ることになり、感慨ひとしお。



盧山寺を後にして船岡山を目指そうと河原町通りに出ると、こんな説明版が。



御土居とよく似たように木が植えられていました。
でもこれって、御土居跡ではないです。
御土居跡は、西側の盧山寺境内です。
何でこんなものがあるのかなあ・・・・・????



盧山寺を後にして、再度北上。
船岡山に来ました。



船岡山は、平安時代には朱雀大路の起点であり、魔界封じのポイントとされた所です。



太古の祭祀遺跡である「磐座」(いわくら)



応仁の乱では、この船岡山に西軍が砦を築きました。
西軍の兵士も、こうして都の風景を眺めたことでしょうね。
その時の心情やいかに?



御土居跡めぐりと、気になっていた場所の探索が終わったので、帰宅モードに。
帰宅前に、清水寺にある「弁慶の鉄下駄と金棒」を見に行こうと思い、再び東進。
御所内の桃園に来ました。



桃がとってもきれいに咲いていました。



御所を通過中に、大文字山が見えました。
大文字山に登ろうかなとチラリと思いましたが、やめておきました。(^_^;)


御所を横切って東南に走り、八坂の塔へ。



おっと!
舞妓が体験できるお店から、お客さんが出てきました。
今日は、春の日曜日。
冬の間は、週末でもほとんど見かけなかった体験舞妓さん。
久々に見ます。



石畳の両側に注目。
ライトアップされるための灯篭が設置されています。
このライトアップは、今日までのようです。



人を掻き分けながらモスラ号を押して、やっと清水寺に着きました。
すごい人出です。



弁慶の鉄下駄と金棒は、有料ゾーンにありました。
その鉄下駄と金棒は実際には弁慶のものではありませんので、中に入らずにUターン。
帰路に着きます。



夕陽に照らされる東山連峰を見ながら、JRの人道橋を渡ります。
周る場所によっては、時として心が重くなっていることに気がつく京都の歴史めぐり。
そんな心で、こうした近代文明を見ると、少しホッとします。
きっと私って現代っ子なのでしょうね。(#^.^#)
古い歴史と新しさが共存する京都。
京都って、こんな素敵な街なんです!


御土居跡。
2回目の挑戦で、完全走破できました!
でも、京の都1200年の歴史。
まだまだ奥が深いようです。


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