今日は午前11時頃から、京都市内へ向かいました。
目的地は特に決めずに出発しましたが、大原近辺と貴船近辺のハイキングマップを持って出ました。
途中で色々と考え、結局貴船・二ノ瀬ユリコースを走ることに決めました。
そこで白川通りを北上してから、宝ヶ池通りを左折し貴船へ。
ユリ道とは丹波地方の方言で、山腹道の意味があります。
二ノ瀬ユリは、北の広河原から都へ炭を運んだ古道だと言われています。
貴船では、一昨日の「鐡輪(かなわ)神社」の関係で貴船神社の本殿、中宮、奥宮の全てを周りました。
そして、二ノ瀬ユリへ向かいました。
二ノ瀬ユリには、貴船神社の奥宮を更に奥に入った「滝谷峠」という標識の所から入っていきました。
途中まではとっても走りやすい道だったのですが、途中から傾斜が急になり路面の状況も極めて悪くなってきました。
初めて行く場所でしたのでそこから先の状況が全く分からず、少し迷ったんですが結局そこで引き返しました。
一度コースを歩いて状況を把握してから、再挑戦することにします。
往路でも復路でも、祭を多く見かけました。
この時期にあんなに多くの祭があるとは、これまで知りませんでした。
新緑の緑がまぶしい京都。
とっても素敵でした!


本日の走行距離、約80km。(正確には80.55km)


2004年5月5日(水)




観月橋到着。
観月橋を渡らずに宇治川左岸を少し下流に向けて走って、近鉄鉄橋の近くまで鉄橋を見に行きました。



近鉄の鉄橋を見た後、観月橋を渡り伏見の疎水着。
伏見の柳の美しい緑は、何度見ても素晴らしい!



疎水は近鉄伏見駅付近で、地下に入ります。
近鉄伏見駅の少し北側から疎水沿いの道に入り、北上。



歯痛にご利益があると言われているこの「ぬりこべ」地蔵様。
名前こそあまり知られていませんが、京都府南部の名地蔵様なのです。
元は、今の警察学校の敷地にありましたが、そこが軍用地になったのでこの地に移転してきました。



伏見稲荷大社着。



伏見稲荷大社境内の「おもかる石」。
願い事をして、自分の予想より石が重かったら願いはかなわない。
逆に、自分の予想より石が軽かったら願いはかなう・・・。
私は2つのお願いをしましたが、一つ目はOKで、二つ目は×。
一つ目がOKだとは驚きましたが、でも嬉しいです。
二つ目が×ってのは、理由を含めてとってもよく分かります。
間違いなく、私の精進が足りないが故。



不思議な形の「狛狐」。



伏見稲荷大社を後にして、東福寺へ。
新緑に埋もれる通天橋を望む。



知恩院前通過。



白川に着きました。
疎水沿いの柳の緑が、ここでも素晴らしいです。



さて、昼食!
おにぎり、玉子焼き、ウインナー。
出発前に、私が作りました。
おいしかったぁ。(#^.^#)



食後のデザート。
え?!「食べすぎだ!」ですって。
でもこれでも足りずに、この後コンビニでメロンパン1個と低脂肪乳500ccパックを買って飲食しました。
走ったら、思い切りお腹が空くんです。(^_^;)



行者橋。(一本橋)
初めて渡りましたが、怖くありませんでした。
自転車でというのは無理っぽいですがね。



昼食後白川沿いを北上して、すぐにブレーキをかけました。
この橋の名前・・・・。
「御土居」と関係ある可能性は極めて高いと見ました。



インクライン近くにやって来ました。
ここからは、白川通りを北上します。



白川通りを北上中に、お祭を見かけました。



関係者の移動のようです。



更に白川沿いを北上。



またまた、お祭を見かけました。
宇治市ではこの時期、お祭なんかありません。
京都市内はこの時期、お祭が多いんでしょうか??



緑溢れる比叡山を右に見ながら、更に北上。



宝ヶ池通りに来ました。
ここを左折し、西進します。



妙満寺。
空の雲が、とっても美しいです。



妙満寺のインドブッダガヤ型「仏舎利大塔」。
何のことやら、さっぱり分かりませぬ。(^_^;)



ひた走って、貴船と鞍馬の分岐点着。



分岐点を左にとって、貴船を目指します。
木々の緑が、とっても目に鮮やか。



鞍馬寺西門。
GWの今日でも、フリーで入場できるみたいです。
私は先を急ぎますので、今日はここには寄りません。



早くも納涼床が設置されていました!



貴船神社着。
少しだけ寄って、先を急ぎます。



納涼床。
まだ工事中の場所もありますが、もうほとんどのお店の床(とこ)で食事ができます。



美しい新緑を愛でながら、ドンドン坂を上がります。



流しそうめん。
1000円のようです。



貴船神社の中宮に着きました。
境内を歩いていると、古い樹にこんな穴が。
虫食いの穴かもしれませんが、5寸釘を打ち込んだ跡に見えなくもありません。
でもこれ以上は立ち入り禁止のため、もっと奥の樹を見ることはできませんでした。



こんなものもありました。
開いた(開けた?)穴に、硬貨がかなりきつく差し込んであります。
この硬貨は、釘の代わりなのでしょうか・・・・?



奥宮に着きました。



これはどう見ても、釘を抜いた跡です。
おそらく「丑の刻参り」の跡なのでしょう。
意外と新しいのに驚きます。
新見南吉の「手袋を買いに」の文が頭をよぎります。
『帰り道、窓の下で人間の親子の子守歌や会話を聞いた子狐は、母親がこいしくなり急いで帰りました。子狐が「人間てちっともこわくないや」と言いうのを聞き、母狐は、「本当に人間はいいものかしら」とつぶやくのでした。』
私は、「人間って本当にいいものだ」と信じたいです。



一昨日行った、「鐡輪の井戸」を思い出します。
ここに書いてある「鉄輪掛石」をかなり時間をかけて探し、それでも分からなかったので、地元の人や外で掃除をしていた消防署の人にも聞きましたが、それでも分かりませんでした。「鉄輪掛石」ってどこのあるんだろう・・・・?



更に奥へ進むために、ライト類をチェック!
まだ暗くなる時間帯ではないんですが、これからガタガタ道を走るので念のため固定しているネジの締まり具合などを調べます。
モスラ号に装備してある前照灯は、この写真に写っている電池式が5基と、その5基に加えてハブダイナモがあと1基。
合計6基の前照灯が、モスラ号の夜間行動をサポートします。
5基の前照灯が光っているように見えますが、これはカメラのフラッシュが反射しただけ。
無灯火の無法自転車を早期に捕捉・殲滅(おいおい)するためという理由も含めて、安全確保のためここまでの重装備を完成させました。



貴船神社・奥宮を後にして、二ノ瀬ユリコースを目指します。
おっと!ここで、左に入らなくては!。



走りやすそうな道に見えますが、大きな石がゴロゴロ転がっています。
転倒しそうなので、途中から自転車を押しました。



結構な坂を押して上ると、こんな場所に。
ここから更に路面の状態が悪くなり、傾斜も増します。
ここから先の状況が全く分かりません。
やむなく、ここでリタイア。
Uターンします。



引き返す時には乗車しました。
誰もいないダートコースの下りを走るのって、かなりの快感。
もっとも、夜間には絶対に走りたくない道ですが。(-_-;)



貴船から降りて、大田神社を目指します。
川の向こうに、何やら取水口のようなものが。
ここから邸内の庭に水を引き込むための構造だって、以前TOMさんから教えてもらいました。



大田神社のカキツバタ。
どうやら花の盛り迎えた時期に、ここに来ることができたようです。



ズーム!



大田神社を後にして、鴨川沿いを南進します。
大文字の火床が見えてきました。



のどかな鴨川右岸。



右岸と左岸を行き来できる。
鴨川には、そん場所があります。



ここも。



八坂の塔近くを通過。



東山通りをドンドン南下。
途中から、疎水沿いに入ります。
藤森近くで「焼きたてメロンパン」を買おうと疎水沿いの道を出ると、藤森神社の祭の行列に出会いました。
なかなか迫力ある演奏をして、鼓笛隊が通ります。



いい感じですねぇ・・・。



「武装勢力」通過!



女性だらけ!
BINさん、お嫁さんを見つけるチャンス!
て言っても、BINさんはいない。(^_^;)



この時期の祭って、春祭りなんですかね。
宇治市では今の時期に祭などないので、いささか驚きました。



観月橋で、日没を迎えます。



流れ橋の夕陽は最高ですが、ここ「観月橋」から見る夕陽も私は大好き!



日が沈む瞬間。



料理旅館の建物のガラスに、夕陽が反射しています。



日没後、空が焼けます。
流れ橋で見たら、きっときれいだろうなあ・・・・。)


京都には、いくらでも素敵な場所があります。
でもそのことを、私は自転車に本格的に乗るまでは気がつきませんでした。
1200年の歴史ある京都。
その1200年の歴史とは一見無関係のように見えながら、実は密接に関係しながら連綿と続いてきた人々の生活が少し分かってきました。
「郷土をしっかりと見る」。
それが、未熟なこんな私にもできるようになってきたみたいです。
それは、ひとえに自転車に本格的に乗ったからゆえ。(^_^)v
自転車万能論を唱えるつもりはありませんが、でも間違いなく自転車って最高です。
少なくとも、私にとってはね。


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