週の半ばに体調を崩してしまい、高熱が2日間以上続きました。
一応完治しましたので、日差しもきつくないのを確認の上 昼前から体の調整も兼ねて京都市内を目指しました。

本日の走行距離、約55km。(正確には53.80km)


2004年5月30日(日)




伏見着。
京都市内では、一度してみたかった「難読地名」めぐりをしようと思います。
ここ伏見にも「撞木町」など、やや読みにくい地名もあるのですが、京都は京都駅以北の難読地名の場所を目指します。
ちなみに「撞木町」はしゅもくちょう」と読みます。



何度伏見に来ても、ここを通りたくて通ってしまいます。(#^.^#)



「鳥せい」横の名水を汲むために列を作る人たち。
名水が人々の生活の中に根を張っている、そんな感じでしょうね。



伏見を通過して、疎水横を北上します。
疎水沿いには、近所の方が栽培しておられる花が咲いており、私達の目を楽しませてくれます。



さて、京都難読地名第1号。
不明門通。
何と読むと思われますか?
考えてみてください。



この通りは、烏丸通より一つ東側を通っています。
松原通から京都駅前までの通り。
この奥にある因幡薬師堂の「不明門(あけずのもん)に、この通りの名前は由来しています。



当時の「不明門」も今ではこの通り!



ってことで、「不明門通」は「あけずどおり」と読みます。
え?!いけずでっすって。
ご、ごめんちゃい。(^_^;)
ところで、この不明門通は京都駅まで続いているはずなのに、ここで烏丸通に吸収されて消えてしまったように見えます。
でも何と!よく見れば・・・・・。
ここから不明門通は、歩道に変装してしぶとく生き残っているのです。
いいぞ、がんばれ!そのド根性が気に入ったぞ!不明門通クン。(^_^)v



さて、京都難読地名第2号。
笋町。
何と読むと思われますか?
地図を持参してかなり探したんですが、地名を表す表示はありませんでした。
場所は、四条烏丸の北西あたり。
ビル街のど真ん中です。
では、お答えします。「たかんなちょう」と読みます。
ちなみに、「たかんな」とは、筍のことだそうです。



さて、京都難読地名第3号。
函谷鉾町。
何と読むと思われますか?
場所を探していて、こんなところを通りました。
杉本家住宅です。
ここは、杉本新右衛門が「奈良屋」の屋号で創業した呉服店で幕末の大火後に消失。現在の建屋は、1870年に再建されたものです。



函谷鉾町を探してこの付近をずいぶん周りました。
でもいくら探しても、地名版がありませんでした。
結局どこが函谷鉾町か分かりませんでした。
ここは函谷鉾町ではありませんが、この付近が函谷鉾町です。
場所は、四条烏丸西入付近。
では、お答えします。
函谷鉾町は「かんこぼこちょう」と読みます。



さて、京都難読地名第4号。
滕屋町。
何と読むと思われますか?
場所は六角堂の近くです。
六角堂に少しだけ寄りました。



地名案内看板を探していて、こんなお店を見つけました。
昔、これと同じ名前のNHKのラジオ番組みがありました。
この名前で、月刊か季刊の本もあったような気もします。
いやいや懐かしいですぅ。(#^.^#)



案内板、発見!
手書きです。(^_^;)
滕屋町は「ちぎりやちょう」と読みます。



難読地名と、場所の地図は持参したんですが、探すのが考えていた以上に大変でした。
今日は4ヶ所だけにして、続きは「また今度」ってことにします。(^_^;)
蹴上を目指します。
平安神宮近くには、疎水の水を利用したユニークな発電所があります。
とってもレトロチックな、レンガ造りです。



平安神宮では、夜に行われる「京都薪能」の準備が始まっていました。



水路閣に行こうとしましたが、人の多さに断念。
インクラインを上がります。



当時の船が展示されていますが、雨ざらしのため風化が進んでいます。
レプリカなのでしょうか。



蹴上を後にして、山科を目指します。
な、何と!
まだ5月なのに、気温が33℃もありました。



京都薬科大学のグランドに来ました。
管理人さんにお願いして、牛若丸が腰をかけた石を見せていただきました。
この石が「牛若丸の腰掛石」です。



解説版。
ずっと来たかったけれど来れなかった場所に、やっと来ることができました。



全体像です。
ここを撮影して帰ろうとすると、管理人さんに呼び止められました。
「血洗い池をを見ましたか?」って。
ゲゲッ!血洗い池が現存していたとは!?



ここが、血洗い池です。
管理人さんに案内してもらわなかったら絶対に分からない場所に、この血洗い池はありました。
今では面積も小さくなり、大きな鯉が泳いでいるごく普通の池でした。
でも当時はこの辺りは、広大な面積の竹やぶだったと管理人さんから聞きました。



管理人さんは、付近の山のことや山科の名所・旧跡、疎水のことなどとても詳しく説明してくださいました。
心からお礼を言って、薬科大学のグランをを後にすると・・・・。
さて、京都難読地名第5号。
御陵血洗い町。
何と読むと思われますか?
答えは、「みささぎちあらいちょう」です。
この「血洗い町」と言う地名は、付近に多くできた住宅の人や不動産屋さん泣かせのようです。
不動産屋さんは「この地名は義経伝説です」と注釈を入れているそうです。
住民の方は、上のチョンをわざと取ってしまって「皿洗い町」と地名を名乗る方もおられるようです。
さ、皿洗い町ねえ・・・・、それはそれで不思議な地名かもです。(^_^;)



山科を後にして、隋心院へ。
もっとも、ここも山科ですがね。(^_^;)



小野小町化粧の井戸。
前来た時は、その場所が分かりませんでした。



発見!



山科から の〜んびり走って宇治へ着きました。
アベレージ13.1kmの、思い切りのんびりした走りでした。
スピードを出そうと思えば出せましたが、スピードを上げるとしんどく感じましたので、思い切りのんびりした走りに徹しました。
病み上がりの体力調整ランは、とってもうまくいきました。(^_^)v





のんびりに徹して走りました。
走ったことによって、病み上がりでいまいちだった体調も、上向きになってきました。
さてさて今日早く寝て、忙しい来週に備えようっと。



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