今日は、TOMさん&BINさん企画の「女の京都を訪ねる旅」でした。
歴史上の女性に関係する京都の地を、歴史に思いをはせながら走りました。
当初の天気予報では降水確率が70%だったのに、見事に晴れました!
我々のツアーにかける情熱が天に通じたのでしょうか。


本日の走行距離、約75km。(正確には73.51km)


2004年7月4日(日)




野宮神社着。



境内の見事な「じゅうたん苔」。
素晴らしかったです。



嵯峨野らしい風景を見ながら、軽快にペタルを踏みます。



常寂光寺着。



境内には、戦争で寡婦になって寂しい生涯を終えなければならない女性達の声に応えて建立された「合祀墓『志縁廟』」があります。
戦乱に翻弄され、愛する夫や恋人を失ってしまって寂しいまま生涯を終えなければならなかった寡婦達。
天国の彼女達の目に、今の日本の海外派兵はどのように映っているのでしょうか・・・。
決して同じ歴史・同じ過ちを繰り返してはなりません。



少し重くなった心を、小倉山の美しい姿が癒してくれました。



落柿舎前通過。



祇王寺着。
平安末期のこと、白拍子の祇王とその妹の祇女は時の権力者「平清盛」の愛が同じ白拍子の仏御前に移ったため、母とともに剃髪して嵯峨野に隠棲。
その後、仏御前も「いずれ自分も同じような運命をたどるに違いない」と考えて出家。
この地で4人の女性は生涯を終えた、ここ祇王寺はそんな歴史を秘めた平家女人の寺なのです。



奥嵯峨の水を司る神様。
ほとんど目に付きません。



奥嵯峨の路上には、こんなお地蔵様もおられたんですね。
何度も走っている場所なのに、これまで全然気がつきませんでした。



瀬戸内寂聴さんのお宅です。



直指庵着。
ここは、若い女性で賑わう場所です。
ここを訪れた女性の多くが、この寺に備えられている「思いで草」というノートに心うちを書き残しています。
ノートは庵主の発意から提供されていますが、現代女性の「駆け込み寺」的性格を持つと考えられています。
安政の大獄で捕らえられた津村(村岡)のり子が、謹慎し隠棲した所でもあり、また彼女の墓や与謝野晶子の歌碑などもあります。



直指庵の近くには、珍しい亀甲竹がありました。



今年の梅雨は、今のところ「から梅雨」のようです。
でも、アジサイは美しく咲いていました。



直指庵から、徒歩で「菖蒲池」を目指します。
途中で、石の仏様を見つけました。



散策を超えて「軽登山」という感じの登りが続きましたが、それがとっても「我が組」のツアーらしさを漂わせていました。
自転車で走る、歩く、何でも来いの我がゴジラ組です!
峠に着きました。
ここからは下りです。



結構汗をかいて歩きました。
雄大な菖蒲池着。



鳥がいました。
なかなか人懐っこいとりで、クッキーをやったらパクパクと食べました。



菖蒲池を後にして、双ヶ丘経由で光悦寺を目指します。
途中で、こんな地蔵様を見かけました。



光悦寺着。
美しい緑に息を呑みました。
本阿弥光悦が徳川家康から拝領した鷹ヶ峰の地に一族縁者や工芸職人とともに移り住み、光悦を中心とする「芸術村」を造りました。
それを象徴するのが、この光悦寺です。



苔の美しさも、素晴らしいものでした。
入山料が200円と格安です。
それでも入りませんでしたがね。(^_^;)



かなり奥までフリーで入って行けるので、とってもよかったです。(#^.^#)



境内には見事なカエデがありました。
秋には素晴らしい紅葉になることでしょうね。
いい雰囲気の池です。



常照寺着。



京都一の太夫との評価があった、吉野太夫。
その吉野太夫は、上京の豪商灰屋紹益に身請けされました。
紹益が22歳、吉野が26歳の時のことでした。
しかし、吉野は紹益と結ばれてわずか12年の38才の時に、その短い生涯をとじました。
紹益は愛着のあまり妻の骨灰を飲みほし、妻をうしなった悲しみを「都をば 花なき里となしにけり 吉野を死出の山にうつして」と詠みました。



境内の案内板。



光悦寺を後にして、原谷を目指します。
途中で「暗峠・大阪側」級の上りがありました。
当然、「鯉で」・・・・。 
基!漕いで上りました。
途中で、「尺八池」に寄りました。
ここは、貴重な生物分布を今に残す場所だとか。



北大路タウン・ビブレ着。
昼食〜!!
(^^)v
これは、godzillaが注文した「ぼたん」です。
カレーうどんと卵どんぶり。
たまりませぬわ。



こちらはBINさん御用達の「おろしトンカツ膳」。
これまた、なかなかのものです!



うし まけた〜。
基!
うまかった〜。(#^.^#)
ってことで、食後のポタ開始。
天寧寺着。



ここは、別名「額縁寺」と言います。
と言うのも本堂が門を入った左側にあるので、正面には大きな建物がなく比叡山の頂上がとても美しく見えるのです。
まるで比叡山の絵が入っている額縁のようだから、額縁寺と呼ばれています。



上御霊神社着。



境内には、こんなモニュメントがありました。
前回来た時には、気がつきませんでした。



相国寺着。
境内は広大です。



相国寺内の宗旦(そうたん)稲荷。
千の宗旦に化けて人々を困らせた、けれども憎めない狐が祭ってあります。



相国寺を後にして、梨木神社へ。
梨木神社で、天然水で喉を潤しました。
組のレディスのようちゃんにも、「組長のおごりだ〜い!」(^_^;)ってことで、天然水をたっぷり飲んでもらいました。



節分で有名な、盧山寺着。
御土居跡があります。
私が通っていたって言うか「籍を置いていた」だけの(オイオイ)、立命館大学の広小路キャンパスの北隣のお寺です。
当時の立命館大学広小路キャンパスには、門を入ってすぐのアスファルト舗装に、そこらじゅうで溶けた跡がありました。
それは当時の学生が徹夜で討論するために焚き火をしたので、その焚き火の熱がアスファルトを溶かした跡です。
燃える政治の季節だったと思いますが、過去形で終わらせたくいはないです。
今の日本の政治は、当時よりはるかに、そして益々悪くなってきているって私は思います。



頼山陽山紫水明処着。
こんな所があるとは、恥ずかしいですがまったく知りませんでした。
上京区東三本木通丸太町上る東側にあります。



頼山陽が晩年、邸宅をこの地に構え『日本外史』などの執筆活動に励んだそうです。
邸宅水西荘の敷地内に建てた書斎は鴨川に面し、東山を望む風光明媚な景観に因んで「山紫水明処」と呼ばれたそうです。
詳しくは知りませんが。(汗)



川端丸太町近くの女紅場址(にょこうばあと)。
1872年に造られたわが国最古の女学校です。
こんなものがこんな所にあるなんて・・・。
全然知りませんでした。(^_^;)



女紅場址近くから眺める加茂川下流。
京都って、こんなに素敵だったんですね。
改めて、そう実感します。



平安神宮前通過。
舞妓さん発見!
「体験」でしょうが、いやいやいいですねえ。
最高でごわす。(#^.^#)(オイオイ)



南禅寺近くの、紅葉の美しい幼稚園。
この池のほとりで、与謝野晶子と誰かとがデートしたとかしないとか。(意味不明ですね)
詳しく知りませんが、そんなことがあったようです。(汗)



石塀小路。
京都らしい、素晴らしい場所です。



流れる水に浮かべてある花が、とっても素敵です。
石塀小路内ののこの店。
おそらく思い切りお高いと見ましたが・・・・。(^_^;)
実際にはいかに!?



円山公園近くを走ります。



ねねの道。



市内中心部を後にして、伏見まで戻ってきました。



カッパカントリーでっす。♪



この絵、大好きでした。
フラッシュなしで写すと、こんな感じ・・・。



フラッシュが光ると、こんな感じ・・・。
私は手動でフラッシュのオン・オフができないのでカメラ任せでフラッシュが光ります。



本当にこんなのに出会ったら、思い切り怖いですね。



ここで、少しだけ休憩しました。
犬夜叉さんの地元なのでぜひ犬夜叉さんにお会いしたかったけど、連絡方法がありませんでした。(T_T)


京都って、本当にいいな。
またまた強くそう思いました。
京都に住んでいても知らないことがいっぱいだって、強く思いました。
TOMさん&BINさん、今回の企画を本当にありがとうございました!


チャリ旅3へ戻る





inserted by FC2 system