午後から、くたびれモードのモスラ号の点検・修理にショップに行きました。
ペタルの締め付け、後部クイックバーの交換、スペースバーの交換、破損したエアポンプの購入、前かごの交換、そしてmacbearさんから提供していただいた後部キャリアの取り付けをしてもらいました。
リフレッシュしたモスラ号!とっても元気になりました。(^^)v

本日の走行距離、約35km(正確には34.75km)


2004年7月19日(月)




久御山町側から流れ橋を渡ります。
大勢の水遊びの人がいました。



流れ橋の八幡市側には駐車の車が多く、流れ橋を渡りきっても駐車の車が邪魔で自転車を押して向こう岸に渡れないほど。
車のマナーが問われます。
こうして水遊びしている家族はみんな良い人に見えます。
でも、車で来て正規の駐車場に停めないから、そして誰かの車が橋の出口を塞いでいるから、みんなが迷惑します。



国道1号線の下を越えて、緑が美しい八幡市内の田んぼを眺めながら樟葉方面を目指します。



ショップで全ての整備を終えました。
リニューアルして元気になったモスラ号のデビュー!



エアポンプをこれまでリュックの中に入れていたので、数回しか使っていないのに破損。
だから、フレームにエアポンプを着けるなどモスラ号のディスプレィを変更しました。
あぶれて装着する場所がなくなったワイヤキーを、こんな場所につけてもらいました。(^_^;)



放生川の石碑前。
モスラ号の調子が良いし、天気もいい。
帰宅するにはちと惜しいので、少しだけ八幡市内をポタすることにします。



モスラ号@安居橋(あんごばし)。



この建物。
何度見ても味があります。



安居橋にも、塔の島の「三の間」のような場所があります。



安居橋の至近にある、飛行神社へ。



境内に展示してある、零式艦上戦闘機の残骸。
多くの命が失われたあの戦争。
権力者の専横に加え、住民の相互監視で反戦はおろか厭戦の言動さえできなくなった、あの暗い時代。
「決して、時計の針をあの時代に戻すようなことがあってはいけない!」って、心から思いました。



じっとこれを見ていると、犠牲になった若者の姿が浮かんでくるようで、涙が出そうになりました。
私の両親も戦争直前に中国に渡り、中国で私の姉と兄にあたる2人の子どもを出産。
でも、敗戦の混乱の中で、その子どもを2人とも亡くしてしまいました。
荼毘にふすこともできなかったので、私の姉と兄の骨は中国のどこかで今も寂しく土に埋もれているはず。
「一度中国に行って、二人の埋もれている場所で手を合わせたい」って行っていた父親も他界。
天国で私の父親は、亡くした二人の子どもと再会したことだと確信しています。
親となった私は、その時の両親の嘆きが痛いほどよく分かります。
理屈も何もいりません。
戦争は、絶対にダメ。
そしてその戦争を起こさない一番有効な手段は、軍備ではなく外交。
「国境」。
そもそも国境って、なぜあるのでしょうか?



ロッキードF104J・スターファイヤー戦闘機のエンジン。
旅客機のエンジンの方が、きっともっと大きいのでしょうね。
でもなぜ軍用機のエンジンが??



これも展示物。
どうやらこれも、実物の飛行機のプロペラのようです。



飛行神社を後にして、珍しいので有名な「らくがき寺」へ。



らくがき寺境内。
入山料は100円ですが、有料ゾーンには入りません。
無料ゾーンから、少しだけ境内を眺めました。



境内の南側の駐車場から眺めたらくがき寺の全景。
建物内には、名前どおり好き勝手に落書きできる場所があるようです。
今日は私一人でしたので、境内には入りませんでした。
多くの皆さんと走ってここに来ることがあれば、ぜひ一度入って、そして心置きなく落書きしてみたいものです。



帰路に着きます。
美しい木津川を眺めながらの走り。



流れ橋着。
流れ橋が、真昼のような光の夕陽に照らされています。



流れ橋を、八幡市側から久御山町側に渡ります。
さて、早く帰ろうっと!




ジリジリと暑い太陽が照りつける一日でした。
でも、あちこち調子が悪かったモスラ号が、今日のショップ行きで再び元気いっぱいになりました!
私?
当然、元気いっぱいですとも。(^^)v
今日からまた、ゴジラとモスラ号の元気者のコンビ復活です!(#^.^#)


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