今日は「京都仏教庭園を満喫する旅」の日。
少し前の天気では「雨」との予報。
でも雲が多かったけれど、雨が降らない走り日和になりました。
粗大ゴミから蘇った「さくら号」の、初の大活躍の一日になりました。
TOM&BINさん、素敵な企画をありがとうございました!
本日の走行距離、約100km。(正確には不明=「さくら号」にはサイクルコンピュータが未装着)
2004年9月11日(土)
集合場所の七条大橋を目指して、自宅を出発。
雄大な、観月橋近くの近鉄鉄橋に着きました。
伏見を宇治川派流沿いに北上。
七条大橋着。
集合時間まで20分近く余裕があります。
まだ誰も来ていません。
少しだけ、周辺をポタすることにします。
や〜き肉の天壇〜。♪
じゃなくって。
や〜き肉の南大門・・・。
でもなくて。
「ただの」南大門着。
南大門って、こんな建築物なんですよ。
南大門をくぐりました。
三十三軒堂を左に見ながら、北上します。
国立京都美術館。
異国情緒漂う建物です。
京都に大仏があったことを知らない人が多いのですが、京都には奈良の東大寺のものより大きい大仏があったのです。
その場所が、ここ方広寺。
耳塚。
解説は省略。
「耳塚」っていったい何なのか、知らない人はぜひ調べてください。
そろそろ時間になったので、集合場所の七条大橋に再度向かいました。
そこで、今回のランを企画・立案されたTOM&BINさんと合流。
TAMUさん 、MARKSさん、健康さんとも合流できました。
総勢6人で出発しました。
「電車もどき」のバスが走っていました。
でもディーゼル排ガスを出すこのバス。
電車とは全く比較できない、「普通の」公害バスです。
東福寺着。
「入山料」を払わなくても紅葉が楽しめるので私が紅葉時期になったらいつも行く場所の近くに、「じゃん・けん・ぽん」の仏様があるとMARKSさんから教えてもらいました。
その建物を見てみると・・・・・。
ありました!!!
「じゃん・けん・ぽん」の仏様が!
まずは、パーとチョキです。
そして、ぐう!
ベリー、グウ!(^_^;)
東福寺の橋は3つ在るのです。
臥雲橋、通天橋、そしてこの偃月橋。
偃月橋の存在は初めて知りました。
偃月橋の下には、きれいな川の流れがよく見えます。
まさに、「都会のオアシス」とい雰囲気。
紅葉時期に人でごったがえす時でも、ここまで来ると人は驚くほど少ないとか・・・。
まさに、隠れた穴場です。
広大な東福寺境内。
東福寺のすぐ近くには、「筆の寺」が在りました。
正覚庵です。
正覚庵の境内には、筆塚が。
正覚庵を出ます。
再度、東福寺の境内に入りました。
この立派な建物が何と!
ト※※だとは・・・。
その立派な建物の中を見てみると。
まさに、※イレでした!(@_@;)
東福寺を後にして、渉成園へ。
庭園の向こうに、京都タワーが見えます。
東福寺もそうですが、ここ渉成園も都会のど真ん中とは思えない素晴らしい雰囲気。
庭園内には、味のある木があります。
美しい庭園です。
の〜んびり散策
侵雪橋(しんせつきょう)を渡ります。
秋ですねえ。
もう、萩の花が・・・・。
臨池亭・滴翠軒(りんちてい・てきすいけん)。
渉成園は、あまり知られていません。
TOMさんの、「できたらこのままでいて欲しい。有名にはなって欲しくない」って言葉に大きくうなずきました。
傍花閣(ぼうかかく)。
渉成園には、さまざまな建築物があります。
渉成園のこの石垣は、「バラバラでいっしょ」で有名です。
興正寺に入ります。
興正寺からは、非公開の「聚楽第」(じゅらくていorじゅらくだい)がとってもよく見えるんです!!!
興正寺を後にして、龍谷大学の大学院と文学部がある場所に来ました。
明治時代の大学の雰囲気をそのまま残すこの建物は重要文化財です。
何と!
この建物は、今でも現役で活躍しています。
龍谷大学を後にして、島原の大門へ。
かつての遊郭跡です。
次は、「置き屋」だった角屋へ。
島原を後にして、蚕ノ社へ。
この三本柱の鳥居。
何度見ても、不思議な気がします。
大根焚(だいこんだき)で有名な了徳寺へ。
このかまどは、大根焚用のもの。
大きいです!
親鸞ゆかりの、すすき塚。
親鸞が師にあたる法然の旧跡を訪ねて嵯峨 の月輪寺へ向かう途中にこの寺で説法を行い、感謝した地元の人が塩で炊いた大根でもて なしたという故事に由来して大根焚用が、ここ了徳寺では今も行われています。
この大根のもてなしのお礼として、親鸞はあたりに生えていたススキの穂を束ねて筆とし、「帰
命尽無碍光如来」と十字の名号を記したといわれています。
これが、その書だとか。
了徳寺の美しい庭園を見せていただきました。
これは、落雷で幹が裂けた木です。
了徳寺を後にして、鳴滝へ。
鳴滝って、地名だけではなく実際の滝もありました!
次は、西壽寺(さいねいじ)へ。
味のある山門。
西壽寺本堂。
すぐ近くの幹線道路の交通は多いのに、ここは静寂に包まれています。
石仏。
市街地で、静寂に包まれながら石仏を見る・・・。
京都ゆえのことだと思います。
TOMさんが「ここは癒しの寺です」って。
本当にそうだなって、思えます。
西壽寺を後にしました。
「指月林」前通過。
ここ「指月林」は、自炊さえすればテント設営地や宿坊は無料で利用できます。
「お金はないけれど京都に行きたい」ってサイクリストには、見逃せない場所です。
我が母校である立命館大学の「国際平和ミュージアム」着。
この「わだつみの像」を見ると、私の青春時代がよみがえってくる気がします。
って言っても、今も青春時代ですがね。(^_^;)
当時の様子を伝える、多くのものが展示してあります。
こうして多くの人が、戦場へ狩出されました。
どのような気持ちで彼らは戦地へ召集されたのでしょうか。
銃弾で穴が開いた鉄カブトと水筒が展示してありました。
これを使っていた人は、おそらく帰らぬ人となったであろうことが容易に想像できます。
戦争が起きれば、悲惨な目に遭うのはいつも庶民。
戦争を起こさないために必要なものは軍備でしょうか・・・・?
私はそうは思いません。
「政治」がまともに機能してこそ、戦争が防げるって思います。
灯火管制。
薄暗い夜を、人々は不安な思いで過ごしていたことでしょう。
世の中が全て、軍国調に。
異を唱えることなどできなかった世相ゆえ、悲劇をだれも止めることができませんでした。
言論の自由の大切さを、心から実感します。
「京都は文化財が多いからアメリカは爆撃しなかった」。
こう考えている人が今でも多いのに驚きます。
当時のアメリカ人の多くは、日本の文化財などには何の興味もありませんでした。
京都は広島と並んで、原爆投下の可能性の最も高い候補地。
東京などは、爆撃で破壊されて原爆の効果が確かめられないので、原爆投下の候補地には挙げられていなかったようです。
戦後の沖縄の基地で実際に使用されていた、模擬核弾頭。
当時だけでなく、今現在でも沖縄はまだ「戦後」になっていないと私は理解しています。
沖縄に戦後が来て、初めて日本は名実共に独立国家と言えるようになるはず。
戦争の実際を目にし、そして今の政治の現状を考えるて目の前が真っ暗になる気分。
気を取り直して走り、「上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)」へ着きました。
ここで、hirunecaさんとL16さんとが合流してくださいました。
健康さんが途中で離脱したので、総勢6名になりました。
境内には、赤いマンジュシャゲの花が。
「土蜘蛛塚」。
大和朝廷側が、元からこの地に住んでいた住民を蔑んで「土蜘蛛」と呼んだとの説が濃厚です。
となると、この塚は悲惨な運命をたどった住民の祟りを恐れて建てられたものなのかもしれません。
当時のことを想像し、塚の前で静かに手を合わせました。
上品蓮台寺の次に、大徳寺へ。
大徳寺着。
大徳寺の境内も広大です。
境内にはきれいな花が咲いて、とってもいい雰囲気でした。
大徳寺境内のさくら号。
さくら号は、粗大ゴミ置き場からエコポート長谷山を経由して、私の元に来ました。
さくら号は、とってもパワフル!
これから順次装備の充実を図っていきますが、主要構造躯体は申し分ないほどしっかりしています。
えっと、ここも大徳寺の境内のはず・・・・!?(^_^;)
大徳寺山門。
大徳寺を後にして、金戒光明寺へ。
金戒光明寺の境内も、とっても素敵な雰囲気。
秋を感じます。
山だけでなく、里にもススキが咲き始めました。
のどかな光景に、しばし見とれました。
金戒光明寺の山門。
野村美術館。
個人の所有物だとか。
多くのコメントは控えます。
でも、お金が全てだって絶対に思っていないgodzillaっす!
高級料亭の瓢亭。
ここで昼食にしました・・・・。
「って書いても誰も実際には分からない」ってMARKSさんからユーモラス溢れる、暖かい(オイオイ)アドバイスをもらいました。
昼食は、「チコレ」という素敵な洋食屋さんでいただきました。(*^_^*)
瓢亭の庭園。
見るのはただですので、少しだけ見せていただきました。(^_^;)
瓢亭を後にして、白川へ。
何度来ても、ここ白川沿いは素敵です。
一本橋。(行者橋)
hirunecoさんが、渡河に挑戦しようとしたんですが、みんなで止めました。
やはり、危ないです。
白川で水遊びをする子ども。
京都市街地ど真ん中のこの光景を、いつまでも残していきましょう!
辰巳大明神近くへ来ました。
疎水に水鳥がいます。
この水鳥、かなり人慣れしている感じです。。
宮川町の石畳を走ります。
与謝野蕪村の石碑。
毛馬水門付近の石碑でも見る名前。
京都と大阪との結びつきの深さを垣間見る思いです。
与謝野蕪村ゆかりの、「京町家 buson」内。
趣があります。
解散しました。
ほかの皆さんは、「反省会」へ。
私は帰路につきます。
京都駅欲横通過。
TOMさん、おおきに〜。
おかげで、またまた素晴らしい京都を満喫できました。
京の都1200年の歴史。
ガイドブック片手では、その片鱗に触れるのみ。
TOMさんのおかげで、今日も京都の歴史とそこに生活する庶民の息吹に触れることができました。
チャリ旅3へ戻る