今日は、秋の京都市内で「幕末の歴史を巡る」旅をしました。
途中で、godzilla組正規軍・突撃隊員のまっぴぃさんと合流。
歴史を巡る旅を終えた後、稲荷山登山。
下山後、伏見の河童資料館で「黄桜」の古いコマーシャルを堪能しました。

本日の走行距離、約55km。(正確には53.54km)+稲荷山登山


2004年10月31日(日)




雲が多いですが、自宅を出ました。
写真中央少し右下寄りに比叡山が見えるはずですが、雲に覆われて隠れています。
時おり霧雨がぱらつく中を、ペタルを漕ぎます。



伏見着。
十石船が通っていきました。



明治維新のメインステージだった、伏見の寺田屋。
今日は見学の人が、並んでいました。



宇治川派流沿いを北上。



伏見の遊郭跡。
実はここは、忠臣蔵と密接な関係がある場所なのです。



大石内蔵助が討ち入りをカモフラージュするために、遊びほうけていた場所。
それは四条ではなく、ここ伏見の遊郭「よろずや」だったのです。
その跡にやって来ました。



JR稲荷駅近くの「ランプ小屋」。



伏見稲荷大社前通過。



「六道珍皇寺」(ろくどうちんのうじ)。
現世とあの世の境と言われている「六道の辻」の石碑が門前にあります。
「幽霊子育て飴」を売っているお店も、この近くにあります。
この六道珍皇寺の閻魔堂には、閻魔大王と小野篁(おののたかむら)の像が安置されています。
小野篁は昼間は宮廷に仕え、夜は珍皇寺の井戸から地獄に通って閻魔大王に仕え裁きを手伝ったという、奇妙な伝説が残る人物。
その井戸は「冥土通いの井戸」ということで、境内に保存されています。



まっぴぃさんと京大で合流。
南下して三条を目指します。
街路樹がかなり色づいていました。



疎水の水を利用した発電所。



岡崎公園の至近に、この発電所があります。
でもこんなにいい雰囲気の場所なのに、観光客はほとんどいません。



「幕末の歴史を巡る旅」を開始します。
三条大橋高札場跡。
ここには幕府の御札場があり、そこに長州藩の罪状が記されました。
しかしその高札が繰り返し鴨川に投げ捨てられる事件が発生し、新撰組がその監視を命じられ、新撰組の張り込みの末に土佐藩の藩士が捕らえられます。
そうしたことも含め、その後の新撰組の激動の歴史をずっと三条大橋は見守ってきました。



佐久間象山が尊攘派の手により暗殺された場所。
時に54歳。
その後佐久間家は断絶となりました。



1864年6月5日、祇園祭の宵山に起きた「池田屋事変」の場所。
石碑は、パチンコ店の前にあります。(@_@;)
近藤率いる新選組は、古高俊太郎の自白で旅館「池田屋」に踏み込み、潜んでいた尊攘志士たちと壮絶な激闘を展開。
戦いの末、天皇を長州に連れ去るという企みは阻止され、新選組の名は一躍有名に。



海援隊屯所跡(酢屋)。
「酢屋」とはお酢の店ではなく、材木商の名前でした。
ちなみにこの材木商は、今でもあるそうです。
ここは目の前が高瀬川の舟入で各地との連絡に便利だったことから、坂本竜馬は活動拠点にしていたそうです。



土佐藩邸跡地。
当時、この一帯が土佐藩邸だったそうです。



高瀬川生みの親である高倉了以翁の顕彰碑。



尊王攘夷の急進派である本間精一郎は、酒色に身を持ち崩して志士仲間の反感を買い、1862年8月20日に先斗町からの帰途に薩摩・土佐藩志士にこの場所で暗殺されました。



枡屋喜右衛門(古高俊太郎)が多数の武器弾薬と共に隠れていた場所跡。
俊太郎はここで捕まった後壬生の前川荘司邸にある土蔵で拷問を受け、尊皇攘夷派による天皇奪回作戦を自白したのです。
これが後の池田屋事件へと発展していきます。



中岡慎太郎は、坂本竜馬と共に大活躍した人物。
土佐藩を脱藩後は、ここに身を寄せていました。
坂本竜馬と近江屋で同席中に刺客に襲撃され、竜馬は即死したものの慎太郎は虫の息で犯人に「こなくそ」という土佐弁を放ったそうです。
襲撃後2日目に絶命しました。



慶応3年11月15日に坂本龍馬と中岡慎太郎が襲撃された場所である「近江屋」跡。
当初は新選組による襲撃とされましたが、その後見廻組が起こした事件であったことが判明。
命じたのは誰であったのかなど、不明な点も多い幕末史の謎として今もミステリーに包まれています。



「幕末の歴史を巡る旅」を終えました。
三条通を西進し、「弁慶石」前通過。
由来書きによると、この石は奥州衣川から運ばれてきたものだとか。
衣川と言えば、源義経と弁慶の最期の地。
義経は生き延びて北海道に渡り、更に中国に渡りつきチンギス・ハーンになったとの説もありますが・・・。
いずれにしても、弁慶は奥州でその生涯を閉じたと言う説が多いです。
この石は衣川で弁慶が愛玩していたものと言われていますが、この石が「京都に帰りたい」と鳴き熱病が蔓延するために、室町期に京都へ運ばれてきたのです。



六角堂着。
展望エレベーターで、六角の屋根を確認!
間違いなく、六角です。



わらべ地蔵様。
どのお地蔵様も素敵な顔をされていました。
お地蔵様の顔のアップを撮るのを忘れていました。
今度行った時には、かわいいわらべ地蔵様のお顔をアップで写したいと思います。



京都市街のど真ん中にある、ここ六角堂。
でも一日中、静寂に包まれています。
京都の真髄を見る思いでした。



境内のへそ石。
京の都のほぼ真ん中にあり、形はおへそのようです。



雨が降ってきたので まっぴぃさんはそろそろ帰宅モードかなって思いましたが、そう思っているうちに雨がやみました。
そこで、ゴジラ組名物であり、かつ「正規軍」必須の「軽登山」を開始します。
目的は、稲荷山頂攻略。



おもかる石。
今日も、願い事をしました。(^_^;)



汗をかきながら標高を上げて、展望台着。



何度来ても素敵な稲荷山です。
久しぶりに来ました。



末広大神着。
標高が一番高い場所です。



攻略した稲荷山から、無事下山。
まだまだ走れます。
次は伏見を目指します。
関電・墨染発電所着。
ここでは、琵琶湖から流れてくる疎水の水で、発電をしています。



河童資料館に入りました。
小島功さんの絵だと思いますが、とっても色っぽい作品です。



清水崑さんの作品。
私は、氏の作品は色っぽさでは小島功さんの作品に劣るものの、ほのぼのさでは小島功さんを上回っていると思います。



昭和30年〜現在までの、清酒「黄桜」のコマーシャルフィルムを全て見ました。
「まっぴぃ節」の解説付きで、しかも時代の変遷を短時間で見ることができ、とっても楽しかったです。




これもコマーシャルフィルムの一つ。


秋の京都は本当に素敵です。
秋に限らずにね。(#^.^#)


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