今日はせっかくの休みだったのに、風邪でしんどくて朝から寝ていました。
午後からずいぶん気分がよくなったので、京都市内へポタリング。
六角堂の「わらべ地蔵」を再度見に、そして気になっていた革堂へとうとう行くことができました。

本日の走行距離、約45km。(正確には不明=サイクルコンピュータ未装着)


2004年11月3日(水)




午後2時過ぎに自宅を出ました。
の〜んびり走って、伏見着。
まだ観月橋を渡っていないのに、酒造工場があります。
「酒どころ・伏見」を実感。



宇治川を渡る近鉄の鉄橋。
長い鉄橋なのに、驚くことに橋脚が1本もありません。



観月橋を渡って西進。
コスモスの美しい花を眺めながら、宇治川派流沿いを進みます。



伏見の風景。
何度見ても、いい所だなって感じます。



源空寺着。
源空寺は宇治市の山間部である炭山に創建されましたが、1600年頃にここ伏見に移されました。
立派な山門がありますが、その山門は伏見城から移築されたものだと言われています。



朝日大黒天。
朝日大黒天は豊臣秀吉の持念仏で、秀吉に大きな福をもたらしたとか・・・。



由緒書き。



即一六躰地蔵尊。



由緒書き。



愛染明王。



境内を巡ります。



歴史ありそうな建物が、たくさんありました。



源空寺を後にして、北上。
寶酒造の工場前を通過します。
酒造用のタンクが、午後の陽に輝いていました。



京都駅を通過し、油小路通りを北上。
本光寺に着きました。



伊東甲子太郎(いとうかしたろう)遭難の碑。
新撰組に入隊し、そして前例のない新撰組分離を果たした甲子太郎。
甲子太郎は、慶応3年11月18日近藤の妾宅で宴会をした帰途、油小路七条で待ち伏せていた大石鍬次郎らによってこの地で刺殺されました。



ご住職がおられ、中に入らせていただきました。
そして事件の顛末を、住職は10分ほど解説してくださいました。



境内には、門柱石が。
甲子太郎は、この石に座り「奸賊輩」と叫んで息を引き取ったのです。



油小路を更に北上。
するとまた、何か幕末の歴史に関わりがありそうな石碑を見つけました。



中井正五郎殉難の碑と書かれていました。
やはり、幕末の激動に関わる碑。
中井正五郎は、坂本龍馬や中岡慎太郎を敬愛。
坂本・中岡暗殺の首謀者とみなされていた紀州藩士三浦休太郎を、この地にかつてあった「旅亭・天満屋」に踏み込み襲撃。
でも結局、三浦休太郎護衛の新選組と戦った末にこの地で無念の死を遂げました。
幕末の緊迫する状況など全く想像できない歴史嫌いの私にとっては、「歴史って面白いな」と感じる自分がとっても不思議な気がしました。



六角堂着。



ガラスに六角堂が映っているように見えますが、実はそうではありません。
ビルがガラス張りなので、烏丸通から六角堂が見えているのです。



先日に続き、今日も展望エレベーターで六角堂の屋根を見に上がりました。



六角堂の境内をまわります。
美しい白鳥がいますが、実はこの白鳥は人に噛み付く獰猛な鳥なのです。
「危険なので、手を出したり餌をやったりしないでください」と注意書きが・・・。
こ、怖いなあ。(@_@;)



不動明王。



わらべ地蔵様。
実は今日は、これを見にここに来たのです。



いわれ書き。



これです。
この顔が見たかったのです。
先日行った時にはチラリとしか見ませんでしたが、帰宅して写した写真を見ていてこの顔を見つけました。
だから「ぜひ近々また行きたい。」と、思ったのです。



とってもいい表情のお地蔵様。



六角堂を後にします。
お地蔵様、さようなら〜。



次に「革堂」(こうどう)を目指します。
途中で、こんなお蕎麦屋さんを見つけました。
「全国そば関所」って・・・・・。



日本各地のそばのメニューが並んでいました。(*^_^*)
だから、「全国そば関所」なんですね。



革堂着。
開創の行円上人は猟師だったのですが、射殺した牝鹿のお腹に子鹿がいたことから殺生の恐ろしさを悟って、出家。
上人はいつもその牝鹿の革を身にまとっていましたので、「革上人」あるいは「革聖」と呼ばれました。



革堂にまつわる話も多く伝わっています。
その一つ。
昔、この近くに住んでいた質屋の八左衛門という男が、近江の国草津の百姓和兵衛の娘おふみを子守に雇いました。
おふみは毎日革堂にきて子守をしているうちに、お参りの人達の唱えるご詠歌やお経を覚えました。
家に帰って、その覚えたご詠歌やお経をよく唱えました。
それをたまたま聞いた八左衛門が、怒っておふみを殺してしまい死体は裏の物置小屋に隠しました。
おふみの両親は、あまり長い間娘からの便りがないので心配して、八左衛門を訪ねてきます。
八左衛門は、「知らない間にどこかへ行ってしまった」と言います。
両親は心配のあまり近くのこの革堂に来てお祈りしていると、いつしかおふみの亡霊が現れ「私は殺されてしまいました」と告げます。
両親は悲しみにくれながら奉行所に訴え、八左衛門は捕らえられました。
両親は、おふみを弔うために西国霊場を巡り、巡礼後に娘の亡霊を描いてそれに遺品の鏡を取りつけた絵馬を作って、その絵馬を革堂へ奉納しました。
この絵馬には、その由来や嘉永年間の年号まで記されており、今でも供養されるお盆の3日間には私たちも見ることができます。



岡崎という所に住む大工にまつわる不思議な話も、伝わっています。
町衆から厚い信仰を集めた革堂なので、そういった庶民が主人公の話がいくつもあるのでしょうね。



境内を、ゆっくりと巡ります。



こんなに大きいちょうちんがありました。
ふと、寅さんのことと浅草寺を連想してしまいました。



こんな石もありました。



大きな石灯篭(?)。



百体地蔵尊。



革堂を後にします。



錦市場商店街に来ました。



京都一の繁華街の一つである新京極に面している永福寺(蛸薬師堂)着。



蛸薬師堂境内にある弁天様御神水。



由緒書き。



蛸のなで薬師様。
当然、私もなでました。



錦天満宮。
錦通りの東の突き当たり、ここも繁華街の新京極通りに面しています。



新京極通りの喧騒が嘘のような、静かな境内。



本殿。



なかなか派手な境内。
光が溢れています。


おみくじ自動販売機。
ケースの中では、電動獅子舞が踊っていました。(^_^;)



本殿内も明るい光が溢れていました。



境内から少し離れたところにある鳥居。
鳥居が元々あって、両側の建物は後からできました。
ゆえに、鳥居の両端が建物の中に取り込まれてしまったそうです。(@_@;)



五条通りにある、牛若丸と弁慶の石碑。
当時の五条通はここではなかったし、牛若丸と弁慶が出会ったのも五条の橋の上でなく五条天神宮でした。
そのことが分かっていても、この石碑には心を惹かれます。



夕陽を浴びる京都駅。
この京都駅は面積は日本一ではありませんが、駅舎の長さは日本一。



観月橋着。
陽は残念ながら、既に沈んでいました。


午後からの、たった3時間ほどの走りでした。
でも、素晴らしい京都を楽しむことができました。
いんや〜、京都って素敵です。


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