今日は、お昼前から貴船を目指しました。
目的は、懸案の「鉄輪掛石」(かなわのかけいし)探索。
貴船到着後、犬夜叉さん所蔵の古文書で教えていただいた「鉄輪掛石が存在していた」と記述があった場所の探索。
そこは夏には草に隠れてそれらしき石がありそうに見えた場所でしたが、草が冬枯れした今日はそれらしき石は見当たりませんでした。
その後、貴船神社の奥宮、中宮、本宮を探索しましたが見当たらず。
本宮で宮司さんに鉄輪掛石のことについて尋ねてみると、「どこにあるか分からないんです。元々あった場所は、消防分署がある所です」とのことでした。
1年近く追い続けた「鉄輪掛石」は、石を見つけられない幻のまま今日で調査を終えました。
でも一応着がついたので、自分なりに納得して帰路に。
帰り道で五条の「鉄輪井戸」(かなわのいど)がある命婦稲荷神社にお参りしてことの顛末を報告し、鉄輪掛石の調査を完全に終えました。
1200年の歴史がある京の都って、本当に不思議がいっぱい!

本日の走行距離、約80km(正確には77.96km)


2004年12月19日(日)



朝からフルーツ寒天を作りました。
私を含めて、家族みんなが大好きなこのデザート。
いつも多めに作ります。
洗面器のような大きさの容器に入りきらず、大き目のドンブリにも入れます。



ズーム!(^_^;)
お、おいしそう。
帰ってから食べようっと!(^^♪



自宅を出て観月橋近くまで来ました。
「月見館」のレトロチックな建物を右手に見ながら西進します。



伏見に入ってからは、近鉄の高架下を北進。
おいしいので有名なラーメン店「大中」前通過。
高架下のラーメン屋さんです。
「おいしくてしょうがない」ので、「大中」だとか。



伏見稲荷大社前通過。



東福寺に寄りました。
今年はやはり暖冬です。
まだこんな紅葉が残っていました。



あと1週間足らずでクリスマス。
なのにまだ紅葉があることに驚きます。



七条通から川端通りに入り、少し北上して鴨川沿いの歩行者・自転車専用道入りました。
ユリカモメが、いっぱいいました。



加茂川沿いを北上。



前回着たときと同じベンチで昼食。
いただきま〜す!(^^♪



この時期の貴船。
雪が降ってもおかしくないのに、気温が13℃もあります。(@_@;)



貴船と鞍馬の分岐点着。



鉄輪掛石があったはずの分岐点近くの広場。
早速「鉄輪掛石」の探索に入ります。
夏に調査した時には石が草に埋もれてそれらしい雰囲気の石もありましたが、草が冬枯れした今はそれらしい雰囲気の石は皆無。



斜面にも石はほとんどありません。
このような石がありましたが、どう見てもただの石です。



かつて大水害があったようです。
鉄輪掛石は、この鞍馬川のどこかに流されてしまったのでしょうか・・・・。
でも水害があったのは戦前。
犬夜叉さんに見せていただいた古地図は戦後のもの。
その戦後の地図には、「鉄輪掛石」のことがはっきりと記されていました。



今日は鉄輪掛石探索のモスラ号。
「名探偵モスラ」と呼んでやってくださいな。



とってもローカルな叡山電鉄の電車が、頭上を通り過ぎていきました。



広場での探索を完了して、貴船神社へ向かいます。
蛍岩前で、「名探偵モスラ」がポーズ!



白黒写真に近いような風景を見ながら走ります。



貴船川。



貴船神社本宮着。



本宮には寄らずに、奥宮を目指します。
貴船川の素晴らしい風景。



貴船神社奥宮着。



権地。
何やら石がありますが、鉄輪掛石ではなさそうです。



鉄輪掛石の説明。
「叡山電鉄貴船口駅の傍らにある」と書いてありますが、「あった」と読むべきなのでしょうか・・・・。



境内にはこんな石もありますが、やはり違うようです。



これは何だろう・・・・。



御船形石でした。



奥宮を後にして、中宮まで下って来ました。
何だか白いものが写っていますが、その後白いものが何度も写りました。
調べてみたら、横から光が入らないようにデジカメのレンズ周りを覆っている手の軍手の白にフラッシュの光が反射して写っていたのです。
手でレンズを覆わなくなったら、白いものは写らなくなりました。
カメラって、ちょっとのことで色んなものが写るんだなって分かって驚きました。



不思議な岩がありました。



天の磐船だそうです。



貴船神社・本宮着。



丑の刻参りの釘の跡が、あちこちにありました。(@_@;)



貴船神社・神水。
名水で、飲用可能。
とってもおいしい水です。



本宮の宮司さんに鉄輪掛石のことを尋ねてみました。
すると、「どこにあるか分からないんです。元々あった場所は、消防分署がある所です。」とのことでした。
あったはずの場所に肉薄していたのは間違いなかったようです。
本宮の庭園を見ながら、帰路につくことにしました。



帰路で、消防分署前通過。
分署前にはこんな石がありますが、この消防署は元々鉄輪掛石があった場所。
貴船神社奥宮内に設置してあるまだ新しい説明板には、「鉄輪掛石が叡山電鉄・貴船口駅の傍らにある」と現在形で書かれています。
ってことは、この石が鉄輪掛石の可能性が一番高いと考えられます。
しかし、可能性が高いとしか言えません。
詳細は闇の中です。



山を下り、新風館前通過。
新風館も、クリスマスムードがいっぱいでした。



五条通の命婦稲荷神社まで南下してきました。



鉄輪の井戸。
阿部清明の登場する能の「鐡輪」で有名。
能では、浮気性の夫に捨てられた女性が、夜な夜な深泥が池を越え、縁結の神がいるの貴船へ。
やがて宣託があり、鐡輪の足に蝋燭を灯してそれを頭に載せ、加えて体中に赤土を塗り怒りの心を持てば願いはかなう・・・。
その後・・・・。
その命婦稲荷神社に参拝し、今回の調査の報告をしました。



これも名水です。
鉄輪の井戸の水を相手に飲ませると、その相手との悪縁が切れるとか。
この名水も、あるいは過去にそのように使われたこともあったのかもしれません。
丑の刻参りの釘の跡といい、人間の業の深さを心から本当に心から感じるそんな一日になりました。



戦い済んで日が暮れて〜。
などと口ずさみながら、京都駅前着。
京都タワーがとってもきれいでした。



JRで京都に降りたった人がまず最初に眼にするのは、おそらくこの光景でしょうね。



京都駅ビル内の、巨大クリスマスツリー。
エスカレーターに乗りながら撮影しました。



ツリー正面。



京都駅周辺は、とってもキラキラしていました。



京都駅を後にして、南下。
途中で、昨日見た京セラ本社ビルの巨大クリスマスツリーを見かけました。


「幻の鉄輪掛石」は、結局幻に終わってしまいました。
これまでの調査で、消防分署の方や、地元の方からも何度か話を聞くことができました。
でも、どの方も「分からない」ってことでした。
今日、貴船神社本宮の宮司さんの話を聞いて、「鉄輪掛石は見つけられない」って実感できました。

以下は、私が立てた大胆な仮説です。

仮説1 おどろおどろしい「鉄輪掛石」の存在はあるいは地元にとって歓迎すべきものではなかった。
    だから、石はずっとぞんざいに扱われてきた。
    水害で石が流されても、そんな石など誰も探して保存しようとはしなかった。

仮説2 水害で流れた鉄輪掛石を誰かが見つけて、石が元々あった場所に置いた。
    消防分署ができる時に、その石が敷地内に安置された。
    でもその石のことは、「呪い関係」という地域にとってはお荷物な存在。
    ゆえに、誰もそのことを口にしないままに時間だけが流れ、語り継がれない石のことは闇の中に。

仮説3 仮説1は戦前の水害で石が流されて以来、見つかっていないままだと仮定したもの。
    しかし戦後の古地図には、鉄輪掛石の存在場所がはっきりと記されています。
    水害では鉄輪掛石は被災しなかったが、「仮説2」のような理由で存在が闇の中になってしまったにではないか。
    これが第3の仮説です。。

※上記は、あくまで仮説です。真実ではありませんのでその点どうぞご理解ください。

地元の人に尋ねた時に、「鉄輪掛石のことを時々尋ねられるけど、明治生まれの私のおばあちゃんも知らんと言っていました。誰も知りません」って言葉が印象的に思えました。
「誰も知らないなんて・・・・?」

でもやはり行方不明になっている可能性が一番高いのだろうなあ・・・。
「幻の鉄輪掛石」は、やはり「幻」でした。

いずれにしても、とりあえず鉄輪掛石の調査は完了しました。
迷探偵godzillaの敗北のうちにですが・・・・。
ま、いっか。
調査は終えましたが、情報があれば今後とも収集していくつもりです。


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