今日は、TOMさん&BINさん企画の「都七福神まいり」でした。
古来より民衆の信仰が高い七福神は、京都が発祥の地とされています。
新春に七福神を順拝すると、七難即滅・七福即生極まりなしとか。
いいツアーでした。(#^.^#)
参加はみんなで9名。
今回のツアー参加者全員が、新年に福を授かりました。
企画してくださった、TOMさん&BINさん。
参加してくださった皆さん、ありがとうございました!
楽しかった上、福を授かってとってもいい一日になりました。

本日の走行距離、約65km(正確には64.13km)+稲荷山登山。


2005年1月9日(日)



宇治橋西詰が集合場所。
TOMさん。
BINさん。
ようちゃん。
ぴらにあさん。
奈良市民さん。
キースさん。
そして私godzilla。
ここには、7名が集まりました。



いざ出陣!
七福神ではないんですが、まずは世界遺産に登録されている宇治上神社へ。



宇治上神社から少し走って、黄檗山万福寺着。
本日最初の七福神です。
布袋尊」がおられます。



布袋尊は、唐の時代に実在した僧契此がルーツとか。



広い境内を巡ります。
江戸初期、中国から渡来した隠元禅師が中国の黄檗山を模して創建した黄檗宗の大本山が、ここ黄檗山万福寺。



広大な万福寺境内には、実に様々な建物があります。



中国的な雰囲気が濃厚に漂ってくる境内。



万福寺を後にして、黄桜酒造・カッパカントリーへ。
ここで、かいとさんと火の用心さんが合流。
総勢9名に。



黄桜酒造の敷地内にある伏見の名水「伏水」。
とってもおいしくいただきました。(#^.^#)
せっかく行ったのにもしもこの名水が出ていなかったら、下の石を動かして蛇口を探し出してひねると名水が味わえます。
そのことは以前に黄桜の社員の方から教えていただきましたので、「勝手に水を出す」という使い方もOK。



少し早く、本日の昼食場所着。



おいしく昼食をいただいた後、東寺へ。
2番目の七福神。
東寺には、「毘沙門天」がおられます。
毘沙門天は北方の守護神、仏教を守る神であり、信仰すると十種の福を得るとされています。



平安京造営にあたり、国家鎮護のために空海が創建したのが、ここ東寺。



東寺の境内も広大。



毎月21日には多くの露店が出る市が立ち、「弘法さん」として親しまれています。



毘沙門天は弘法大師が入唐の際感得されたもので、無量の知恵で学業成就や安産の信仰を集めています。



ゴジラ組機動部隊の車列。
本日のツアーの参加者の皆さんの愛車です。
いっぱいあります。(#^.^#)



東寺の次は、六波羅蜜寺へ。
3番目の七福神です。
六波羅蜜寺には七福神の中で唯一の女神「弁財天」がおられます。



六波羅蜜寺は、951年に、空海上人によって開創された西国17番札所。



次に、ゑびす神社へ。
4番目の七福神。
ゑびす神社には「ゑびす神」がおられます。
人がとってもいっぱい。(@_@;)



ゑびす神社は、鎌倉時代初期に建仁寺の鎮守社として創建されました。



ゑびす神社を後にして、鴨川沿いを北上。



河合神社着。
河合神社は今では下鴨神社の摂社となっていますが、 平安時代の延喜の制では名神大社に 列せられる名社。
境内には、ゆかりの鴨長明の方丈が復元展示されています。



次に、下鴨神社へ。
境内にある御手洗社の名水。
おいしくいただきました。(#^.^#)



下鴨神社境内には、干支の守護社もあります。
参加者それぞれの皆さんが、自分の干支を探していました。



下鴨神社を後にして、松ヶ崎大黒天へ。
5番目の七福神。
松ヶ崎大黒天には「大黒天」がおられます。
この松ヶ崎大黒天が五山の送り火の「法」の火床の山への登り口であるということは、あまり知られていません。
「法」の字の一番下の火床までは、階段を5分も上がると行くことができるのです。



その名もありがたき「大黒そば」。
値段も、とってもありがたい200円でっす。(^^♪



松ヶ崎大黒天は、1616年に建立されました。
本尊の大黒天像は伝教大師の作で、開運・招福の福神として信仰されています。



松ヶ崎大黒天を後にして、更に北上。
比叡山を眺めながら走ります。



赤山禅院(せきざんぜんいん)着。
6番目の七福神。
赤山禅院には「福禄寿神」がおられます。
ここ赤山禅院は、慈覚大師の遺言で創建されました。



屋根の上の猿の置物。
この猿は、京都御所・猿ヶ辻の猿と向かい合っているそうです。
檻に入っているのは、猿が夜に逃げ出さないためだとか・・・。



境内を周ります。



祀ってある福禄寿神。



境内の七福神。
ここ赤山禅院は、秋になると境内が素晴らしい紅葉でいっぱいになります。
紅葉時期でない今は、とってもしっとりとしたお寺の風情を感じます。



とってもいい雰囲気の境内でした。
私がここへ初めて来たのは、以前に紅葉を見に来た時です。
フリーでは入れる境内にある見事な紅葉!
一度でここが好きになりました。



赤山禅院を後にして、高野川・鴨川沿いを南下。
日没を迎えました。



沈み行く夕陽に染まる川沿いの建物や比叡山。
私は、この時間の風景が好きです。(#^.^#)



革堂(こうどう)着
最後の七福神!
ここ革堂には「寿老神」がおられます。
以下の革堂の解説は、前回の革堂行き
http://members2.tsukaeru.net/godzilla/041103.htm
と同じです。
開創の行円上人は猟師だったのですが、射殺した牝鹿のお腹に子鹿がいたことから殺生の恐ろしさを悟って、出家。
上人はいつもその牝鹿の革を身にまとっていましたので、「革上人」あるいは「革聖」と呼ばれました。
革堂にまつわる話も多く伝わっています。
その一つ。
昔、この近くに住んでいた質屋の八左衛門という男が、近江の国草津の百姓和兵衛の娘おふみを子守に雇いました。
おふみは毎日革堂にきて子守をしているうちに、お参りの人達の唱えるご詠歌やお経を覚えました。
家に帰って、その覚えたご詠歌やお経をよく唱えました。
それをたまたま聞いた八左衛門が、怒っておふみを殺してしまい死体は裏の物置小屋に隠しました。
おふみの両親は、あまり長い間娘からの便りがないので心配して、八左衛門を訪ねてきます。
八左衛門は、「知らない間にどこかへ行ってしまった」と言います。
両親は心配のあまり近くのこの革堂に来てお祈りしていると、いつしかおふみの亡霊が現れ「私は殺されてしまいました」と告げます。
両親は悲しみにくれながら奉行所に訴え、八左衛門は捕らえられました。
両親は、おふみを弔うために西国霊場を巡り、巡礼後に娘の亡霊を描いてそれに遺品の鏡を取りつけた絵馬を作って、その絵馬を革堂へ奉納しました。
この絵馬には、その由来や嘉永年間の年号まで記されており、今でも供養されるお盆の3日間には私たちも見ることができます。



境内の、七福神。



公開!
カメラで写すのが難しい「寿老神」像。



革堂を後にして、反省会の皆さんとお別れ。
帰路に一人で通りかかった稲荷山をふと見ると、山の上に今まで見たことがない不思議な光がいっぱいあるのを見つけました。
「初詣で人が多いので暗くなってからも参道を上がれるんだ」って気がつきました。
そこで急遽、稲荷山への夜間実力登山を決定!
伏見稲荷大社の境内に入りました。
周囲の闇を切り裂くように、境内の所々には明るい光が溢れていました。



千本鳥居をくぐります。



「おもかる石」がある場所に来ました。



「おもかる石」。
当然、お願いをしました。



「おもかる石」を後にして、登山開始!
展望台着。
京都市街の光が、まるで宝石を散りばめたようです!



もう1枚。
低空飛行の飛行機の窓から街の明かりを見下ろすと、きっとこんな風に見えるんだろうなって思いました。
この写真を撮った後、展望台の北側にある社に参拝し、その後無事下山。
夜の稲荷山上への往復は、モスラ号の車体から取り外して使った前照灯が夜道を明るく照らしてくれましたので何の不安もありませんでした。


何だか今年はいいことがありそうな、そんな気にさせてくれた今回の「都七福神まいり」ツアー。
今年が皆さんにとっていい年になるように、私も心から念じます。
お互いに、今年がいい1年になりますように!!


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