今日は、京都名水巡りツアー市街地編の下見を行いました。
そして、予定通り三十三間堂の無料開放と「通し矢」とを楽しみました。
今年はなぜか昨年と比べて人が少なく、通し矢の会場を見ることもできました。
本日走行距離、約65km。(正確には64.37km)
2005年1月16日(日)
長建寺着。
長建寺境内の名水「閼伽水」(あかすい)の解説。
「閼伽水」(あかすい)をおいしくいただきました。
次に、「鳥菊本店」横の「白菊水」へ。
右側のボタンを押すと、名水が出てきます。
黄桜・河童カントリー着。
黄桜酒造の「伏水」(ふしみず)の解説。
「伏水」。
普段は水が出ていませんが、敷石の下に蛇口があって、それをひねると水が出てきます。
次に、スーパー前にある「伏見トレビの水」に。
「伏見トレビの水」は、私が知っている名水の中では一番水量豊富です。
大黒寺着。
大黒寺の「金運清水」の解説。
「金運清水」。
これを飲むと、金運が!
次に、伏見板橋小学校に。
校内に、名水があるのです。
校内に入る前に、利用上の注意を読みます。
校内の「白菊の水」。
小学校の授業がある平日でないと、この名水は味わえません。
今日も残念なが味わえませんでした。
キンシ正宗の工場着。
キンシ正宗の会社内に湧く「常盤井水」の解説。
会社が休みなので、門が閉まっていました。
「常盤井水」を味わうことはできませんでした。
御香宮着。
ここには「御香水」(ごこうすい)が湧き出しています。
「御香水」(ごこうすい)の解説。
「御香水」(ごこうすい)も、とっても水量豊富。
次に、藤森神社へ。
ここでは、「不二の水」が湧いています。
「不二の水」も解説。
「不二の水」は、水量があまり多くありません。
募金を募るための貯金箱が、いっぱい積んでありました。
「菊水若水」が湧いている城南宮へ。
「菊水若水」の解説。
「菊水若水」は、かなり水量豊富。
城南宮境内には、もう梅の花が咲いていました。
城南宮を後にして、昼食のために第一旭・本店へ。
行列ができていましたが、10分ほど待って店内へ。
写真のラーメンは、「肉なし・大盛り」で550円です。
第一旭本店は、ダシがとってもおいしい!(^^♪
第一旭で大盛りラーメンをおいしくいただいた後、市比売(いちひめ)神社へ。
天之真名井(あめのまない)が湧いています。
天之真名井(あめのまない)の解説。
天之真名井(あめのまない)の名水。
市比売(いちひめ)神社を後にして、東山通りへ。
鴨川を渡ります。
耳塚。
秀吉の行為が、実際にあったんだってことを実感します。
三十三間堂着。
何だ何だ!?
蜂起貫徹!闘争勝利!
んな分けないですね。(^_^;)
全国の弓道をたしなむ若者が、成人記念でここ三十三間堂に集結するのです。
人が少なかったので、今年は通し矢の様子を見ることができました。
初めて見ます。
矢を射る人の手もとが動くと、見物人に矢が飛んでくるのではないかなあと少し心配でした。
的は、かなり遠くにあります。
三十三間堂境内に名水「夜泣泉」(よなきせん)。
子どもの夜泣きに効果があります。
そのままの名前が、とってもいいですね。
「夜泣泉」(よなきせん)。
実は、健康にも効果があるって書いてあるんです。
水量は少ないのですが、おいしい水でした。
三十三間堂を後にして、法住寺へ。
ここ法住寺も、今日はフリーでは入れます。
ここには、「忠臣蔵」四十七士と、浅野内匠頭の木像が安置されています。
本尊の不動明王は「身代わり不動」と言われ、大石内蔵助はここで大願成就を念じると共に、同志との連絡にも使ったとか。
この辺り一帯は、かつて存在した京都大仏があった方広寺の一角でした。
南大門と太閤塀。
次に、泉湧寺近くの来迎院へ向かいます。
泉湧寺は、名前にも関わらず水は既に枯渇しているとか・・・・。
でも、泉湧寺の塔頭の来迎院では今でも名水がこんこんと湧いているって情報をゲットしていたのです
来迎院着。
ご存知「忠臣蔵」。
大石内蔵助の親戚である卓厳和尚のこの寺の檀家に、大石内蔵助がなります。
大石内蔵助は、茶の湯にかこつけて、ここで討ち入りの策を練っていたそうです。
来迎院境内のお茶室。
弘法大師が、密教の法具である「独鈷」を使って水脈を見つけたという独鈷水。
石碑はありましたが、水はどこにもありませんでした。(T_T)
次に、「柳の水」がある馬場染工へ。
「柳の水」の解説。
会社が休みということと関係あると思われますが、水は出ていませんでした。
工場内の名水は、一般にも公開されているそうです。
次は、晴明神社へ。
「晴明井」があります。
「晴明井」の解説。
一度は枯渇しましたが、また湧き出ました。
水量は豊かとはいえません。
晴明にかかわる伝説。
晴明神社本殿。
五芒星。
次の目的地の北野天満宮を後にしていたら、偶然にも「行途(かどで)八幡宮前を通りました。
北野天満宮着。
境内にある、お餅売りの店。
おいしそう!(^_^;)
境内には、11と実に数多くの井戸があります。
そのうち、ここ手水舎の井筒では、私たちも気軽に名水を味わうことができます。
一見1つの手水鉢のようですが、実は2つの手水鉢を1967年になって囲ったものなのです。
境内では、早くも梅の花が咲いていました。
様々な梅が。
ある夜、渡辺綱が役目を終え一条堀川の橋にさしかかった時。
橋のたもとに若くて美しいが紅梅のうちかけを身にまといたたずんでいるのを見た。
不審に思い声をかけると、「家まで送っていただけますか」。との返事が。
渡辺綱は、自分が乗っていた馬に女を乗せて走り出した。
その途中、女は恐ろしい鬼に姿を変え「我が行く先は愛宕山ぞ!」と言って渡辺綱の髻を掴み、愛宕山の方向へ飛んで行こうとした。
しかし渡辺綱は慌てず騒がず、刀で鬼の手を切りつけた。
手をを切り落された鬼は愛宕山の方へ飛び去り、渡辺綱は北野神社の回廊の屋根に落下したが、大きな怪我もなく無事だった。
渡辺綱は、自分が無事だったのは北野天満宮のおかげだと思い、感謝の気持ちを込めてこの灯篭を寄進したそうな・・・・。
恐るべし!ギャンブラー。(@_@;)
灯篭のズーム!
大黒天石灯篭。
この大黒様。
鼻の穴が異常に大きいです。
そのいわれは・・・・。
この辺りに住んでいた博徒が大黒さんの頭から砂をかけたところ、大もうけしたとか。
そのことを知ったほかの博徒はおろか一般の参詣者までが、「お金が溜りますように」と砂わかけるようになったと言われます。
そしていつしか鼻の穴(えくぼ)に小石を詰めるようになり、鼻の穴は次第に大きくなり、とうとう大黒さんの鼻の穴はこのようになりました。
今日も、鼻の穴には石が詰められていました。(^_^;)
境内には、こんなものもありました。
北野天満宮は、梅の名所。
あちこちいっぱい、美しい梅が。
ここにも。
北野天満宮を後にして、近くの「御土居」跡にやって来ました。
紙屋川。
御土居は、京都版「万里の長城」。
かつての京都は、川と土塁の御土居で閉鎖されていたのです。
土塁の内側は「洛中」、土塁の外側は「洛外」と呼ばれていました。
当時、洛中と洛外を行き来できる御土居の出入口は「口」と呼ばれており、「鞍馬口」などその当時の呼び名が今でも残っています。
壬生着。
壬生の名水「鶴寿井」。
かつて新撰組メンバーが飲んだこの水。
私も、いただきました。
新撰組屯所跡。
夕陽に染まる壬生寺。
今日の名水めぐり最期の地、六孫王神社着。
雨が降ってきました。(ーー;)
六孫王誕生水。
雨が降ってきたので、慌てて六孫王神社を後にして帰路につきます。
途中で雨が上がり、夕陽を眺めることができました。
伏見着。
自宅まで、あとひとがんばり。
京都の名水。
想像以上に数が多いし、奥が深いです。
「水に味がある」って、とっても不思議な感覚でした。
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