今日は、京都名水ツアー・市街地編。
参加表明されたFUJIさんがまだ到着していないのに出発、その上途中でキースさんを置き去りに。
お二方には、とっても申し訳けなかったって思います。
どうか、お許しください。<m(__)m>
でも、当初から参加表明の、「ともじんさん」「macbearさん」「Nさん」「火の用心さん」「TOMさん」「BINさん」「キースさん」に加え、「ごっちゃん」と「ようちゃん」が途中から参加。
私godzillaを合わせると、全部で10名の参加となりました。
大勢で走る楽しさを実感できる一日になりました。

本日走行距離、約70km。(正確には68.62km)


2005年1月30日(日)





観月橋通過。
近鉄鉄橋が見えてきました。



雄大な、近鉄鉄橋。



長建寺着。



「閼伽水」(あかすい)。
名水を、おいしくいただきました。



長建寺境内の名水「閼伽水」(あかすい)の解説。



長建寺を後にして、「鳥菊本店」横の「白菊水」へ。



「白菊水」の解説。



次に、黄桜酒造へ。
黄桜酒造敷地内の「伏水」。
普段は水が出ていませんが、敷石の下に蛇口があって、それをひねると水が出てきます。



「伏水」(ふしみず)の解説。



河童カントリーに、少しだけ寄りました。



次に、スーパー前にある「伏見トレビの水」に。



「伏見トレビの水」の解説。



源空寺着。
ここで、FUJIさんがまだ来ていないのに、気がつきました。(>_<)



ここでBINさんにお願いして、FUJIさんに連絡が取れないか色々とやってもらいましたが、結局連絡は取れず。(ーー;)



源空寺境内へ入りました。
豊臣秀吉の「即一六体地蔵尊」。



「即一六体地蔵尊」の説明。



豊臣秀吉の「朝日大黒天」。



「朝日大黒天」の解説。



次に、大黒寺へ。
大黒寺の大黒寺の「金運清水」。



大黒寺の「金運清水」の解説。



次に、キンシ正宗の工場に。
名水「常盤井水」。



「常盤井水」の解説。



次に、御香宮へ。
ここでは「御香水」(ごこうすい)が湧き出しています



「御香水」(ごこうすい)は、とっても水量豊富。



「御香水」(ごこうすい)の解説。



御香宮を後にします。



ドンドン北上。



清和荘着。



ほとんど知られていない、ここの名水。
原則非公開ですが、素晴らしい味がします。



次に、藤森神社へ。



ここでは、「不二の水」が湧いています。



「不二の水」の解説。



藤森七福神様。



力石。
これを持ち上げて、力比べをするとか。
ぎっくり腰になりそう。(>_<)



「かへし石(力石)の解説。



「菊水若水」が湧いている城南宮へ。



「菊水若水」の解説。



ゴジラ組機甲部隊の車列。
大阪から自走してきた勇者のバイクも。



次に、市比売(いちひめ)神社へ。
市比売神社には、天之真名井(あめのまない)が湧いています。



天之真名井(あめのまない)の、表示板。



次に、五条通北入の命婦稲荷社(みょうぶいなりしゃ)へ。



「鉄輪の井」の由来。



稲荷社の再建工事で敷地内の井戸の傍から「鉄輪塚」の石碑が発掘され、同時に多数の鉄輪が発掘されました。
ゆえに、徳川時代の書の出てくる鉄輪(かなわ)塚がこの場所にあったことが確認できたとか。
その場所に小祠が作られ、鉄輪大明神として鉄輪の女の霊が祀られています。
ほとんど世間には知られていませんが、その場所がここなのです。
この井戸は、鉄輪の女が飛び込んだ場所だとも言われています。



このキツネさんの表情は、とっても怖そう。
でもこのキツネさんがある境内を含む奥まった敷地で、複数の家族が日常の生活をされています。
過去の歴史と、今現在の日常。
それが混在するのが、京都なのです。



命婦稲荷社の名水。



次に、錦天満宮へ。




錦天満宮本殿。



「錦の社の御神水」。



「錦の社の御神水」の解説。



次に、八坂神社へ。



八坂神社境内の「祇園神水」。



八坂神社を後にして、石塀小路へ。



石塀小路は、とっても風情がある場所があります。



お地蔵様があるゾーンへ。
ここで、キースさんがいないことが判明。



BIN通信員が連絡試みるも、キースさんに連絡は取れず。
やむを得ず、行動を再開。
平安神宮通過。



疎水発電所近くを通過。
冬場は疎水の水が枯れますので、発電はされていないようです。



下御霊神社着。



下御霊神社の名水をいただきます。



下御霊神社を後にして、麩嘉(ふうか)へ。



麩嘉を後にして白峯神社へ。



白峯神社の名水。



白峯神社境内には、玉の競技の勝利神が。
パ※ンコファンは、絶対に参拝すべきだなって思ったりしました。(^_^;)



五芒星。



「晴明井」。



「晴明井」の解説。




死者が蘇ると言ういわれがある一条戻り橋。
戦地に趣く兵隊たちが、無事に生還できるようにとの思いでこの橋を渡りました。
実際の一条戻り橋はここではありませんが、当時の橋がここに実物のまま保存されています。
私もこの「橋」を渡りました。
せっかくここに来たのですからね。(^_^;)



晴明井の近くにある、五芒星の石。



上七軒通過。
最高!



k他の天満宮着。



境内には、11と実に数多くの井戸があります。
そのうち、ここ手水舎の井筒では、私たちも気軽に名水を味わうことができます。



一見すると、1つの手水鉢のようです。
でも実は、2つの手水鉢を1967年になって囲ったものなのです。



ある夜、渡辺綱が役目を終え一条堀川の橋にさしかかった時。
橋のたもとに若くて美しいが紅梅のうちかけを身にまといたたずんでいるのを見た。
不審に思い声をかけると、「家まで送っていただけますか」。との返事が。
渡辺綱は、自分が乗っていた馬に女を乗せて走り出した。
その途中、女は恐ろしい鬼に姿を変え「我が行く先は愛宕山ぞ!」と言って渡辺綱の髻を掴み、愛宕山の方向へ飛んで行こうとした。
しかし渡辺綱は慌てず騒がず、刀で鬼の手を切りつけた。
手をを切り落された鬼は愛宕山の方へ飛び去り、渡辺綱は北野神社の回廊の屋根に落下したが、大きな怪我もなく無事だった。
渡辺綱は、自分が無事だったのは北野天満宮のおかげだと思い、感謝の気持ちを込めてこの灯篭を寄進したそうな・・・・。



この大黒様。
鼻の穴が異常に大きいです。
そのいわれは・・・・。
この辺りに住んでいた博徒が大黒さんの頭から砂をかけたところ、大もうけしたとか。
そのことを知ったほかの博徒はおろか一般の参詣者までが、「お金が溜りますように」と砂わかけるようになったと言われます。
そしていつしか鼻の穴(えくぼ)に小石を詰めるようになり、鼻の穴は次第に大きくなり、とうとう大黒さんの鼻の穴はこのようになりました。
今日も鼻の穴の下の地面には、掃き清められた境内なのにここだけには小石がいっぱい落ちていました。
ともじんさんがアタックすると、見事に大黒様の鼻の穴に石を詰めらました。
でも、私は詰められませんでした。(T_T))



壬生着。



壬生の名水「鶴寿井」。



壬生の名水「鶴寿井」の解説。



次に、若一神社へ。



若一神社の名水。



今日最後の訪問地。
六孫王神社着。



「六孫王誕生水」を味わいました。


京都の地下水は、琵琶湖の総水量の8割に匹敵するとか。
その京都の名水を味わう、素晴らしいツアーができました。


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