今日は、毎日放送ラジオの「ラジオウオーク」に参加しました。
ラジオウオークそのものは、10kmを歩くだけのもの。
それよりも、往復107kmの自転車走に加え、ゴール地点から出発地点までの5km以上の道のりを歩くのが大変でした。
それでも、楽しい一日になりました。
本日の走行距離、約110km(正確には107.7km)+16km以上のウオーク。
2005年2月11日(金)
自宅を出てひた走り、山背古道に入りました。
空一面に雲が広がっています。
青谷梅林付近通過。
青谷の梅は、まだ蕾が膨らんだ程度です。
風情ある城陽・青谷の家並み。
井手町の玉川を越えます。
山城町へ。
のどかな風景を眺めながら南下。
蟹満寺着。
蟹満寺は、いい雰囲気のお寺です。
懐かしい心休まる気がする風景を眺めながら、の〜んびりと走ります。
道路に埋め込んである山背古道(やましろこどう)のプレート。
これだけを目印にして山背古道を走ることも可能です。
このような細い道こそ、山背古道の真髄。
山背古道の巨大プレート。
JR棚倉駅前着。
泉大橋。
私のサイトのメインコンテンツである自転車道路の南の起点がある場所です。
奈良県に入ります。
ハクション大魔王のひげのような形が屋根にある遺跡。
唐古鍵遺跡。
藤原宮跡着!!
ここがラジオウオークの出発点です。
早速、歩き始めます。
飛鳥川沿いをトットコ。
甘樫丘展望台への階段をトットコ。
展望台近くにこんな石碑が。
展望台にはラジオの生中継車。
甘樫丘の展望台からのながめ。
ワイド写真を撮りましたのでぜひとも写真をクリックして全表示させてから、ブラウザで最大サイズにしてご覧ください!
上の写真の上でクリックするとブラウザの機能で小さく細長い写真になりますので、その写真の中をポイントしてください。
すると写真の右下の大きくするマークが現れますのでそれをクリックしてください。
クリックすると写真が大きくなり、私が見た甘樫丘展望台からの古都・奈良の素晴らしい眺めを共有していただくことができます。
甘樫丘の展望台は2ヶ所あります。
その2ヶ所目の展望台に来ました。
これもワイド写真。
上の写真の上でクリックするとブラウザの機能で小さく細長い写真になりますので、その写真の中をポイントしてください。
すると写真の右下の大きくするマークが現れますのでそれをクリックしてください。
クリックすると写真が大きくなります。
時おり雪もぱらつきますが、日が差すこともある。
そんな天気の中を、激歩・・・・。
基!の〜んびりと歩きます。
の〜んびり歩いているのに、なぜかドンドン前の人を抜かしてしまいます。
なんでかな〜?
タイムマシンで時間を遡ったような風景。
懐かしさがこみ上げてくるというか、心が休まります。
川原寺着。
中村鋭一アナがいました。
野辺の石地蔵様。
橘寺前通過。
出発時間が遅かったので、「最後尾」という板を持ったスタッフと同時くらいに出発しました。
休憩したりする人を尻目に、時間がもったいないの、昼食用に持参したおにぎりを歩きながら食べます。
参加人数は多いのですが出発時間の幅があるので、道は割りと空いていました。
前方を歩く人をドンドンぶっちぎって、3,000人ほども追い越したでしょうか。
ビニールハウスがありました。
窓が開いていたので中をのぞいてみると・・・・。
ワオ!これはひよっとして・・・・・・。
イチゴでした。
お、おいしそう!!
山背古道の風景とも少し似ている気がします。
高松塚古墳前通過。
高松塚古墳は、初めて見ました。
冬枯れの時期ですが、畑のほうれん草の緑色が鮮やかでした。
「鬼の雪隠」。
雪隠とは言っても、7世紀の終末古墳の石室の一部(蓋石)なのです。
この場所から10mほど上にある「鬼の俎(まないた)」(底石)から転がってきたようです。
「鬼の俎」へ向かいます。
鬼の俎。
7世紀の終末古墳の石室の一部(底石)。
亀石に着きました。
この石は、川原寺の四至(所領の四方の境界)を示す標石ではないかと言われています。
また、次のような伝説もあります。
「昔、大和が湖であった頃、湖の対岸である当麻と、ここ川原の間で喧嘩が起こった。
長い喧嘩の末に川原側は負けてしまい、湖の水を当麻にとられてしまった。
そして、湖にすんでいた多くの亀は死んでしまった。
亀を哀れに思った村人は、何年かの後に亀の形を石に刻んで供養した。
今、この亀は南西を向いているが、もしも西を向いて当麻をにらみつけたら大和盆地は泥沼になる。」
道を間違えて、電車に乗る人の流れに乗って飛鳥駅まで行ってしまいました。(>_<)
慌ててUターン。
そしてついにゴール!
飛鳥小学校に着きました。
河内屋菊水丸がいるはずなんですが、どの人か分かりません。
一番左端の人のような気がしますが・・・・。
ゴール地点は意外と人が少ないですが、それでも続々と人が入ってきます。
ゴールから、またまたひと歩き。
モスラ号を置いてある藤原宮跡へ戻ります。
飛鳥川沿いをテクテク。
雷(いかずち)。
甘樫丘と飛鳥川をはさんだ対岸にある高さ20mほどの丘を雷丘と言います。
雄略天皇の命を受けた小子部栖軽(ちいさこべのすがる)がこの丘で雷神を捕まえたという言い伝えがあり、それがこの名前の由来になっています。
解説板。
大和盆地の風景を眺めながら歩きます。
かなり大回りしたようで、早足で1時間以上歩いているのにまだ藤原宮跡に着きません。(>_<)
日が差してきました。
物の影が長く伸びています。
時刻はもうとっくに午後4時を過ぎています。
また日が翳りました。
その少し後で藤原宮跡着。
藤原宮跡に着いたのはよかったんですが、藤原宮跡はかなり広いんです。
誰もいないし、テントなども全て撤収されていたので、モスラ号をとめた場所が全然分かりませんでした。(ーー;)
暗くなるまでにモスラ号と合流しないと、思い切りやばい!
必死に歩き周ってモスラ号と再開できましたが、その頃には藤原宮跡のぬかるみで靴がびしょびしょ。
濡れた靴で走ったため、帰路では足がメッチャ冷たかったです。(T_T)
帰路では2回も雨に降られ、しかも奈良市内ではイトーヨーカ堂付近など国道24号線を自転車で通れない所があるので、迂回。
迂回したのはいいけれど、またもと来た道を戻って走ってしまったりしてかなりの時間ロス。
結局、午後9時に帰宅しました。
ラジオウオーク。
歴史ある道を歩けて、とっても楽しかったです。
来年も再度参加してみたいなって思います。
同じ歴史ある都でも、京都と奈良では雰囲気がずいぶん違うのだということを改めて感じました。
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