今日は、愛宕ケーブル(愛宕鉄道鋼索線)の跡地を完全歩破しました。
風化し、人々の記憶からも消え去った感がする愛宕ケーブル。
まさに、「幻の愛宕ケーブル」。
その跡地を全線歩き、華やかだった当時の愛宕ケーブルの姿に触れることができ、何だかとっても感動しました。

本日の走行距離、約60km(正確には62.28km)+愛宕ケーブル跡ウオーク(距離約6km)。


2005年2月26日(土)





出発しようと思っても、外は結構激しい雪。
雪がやんだので出発!
伏見に着きました。



伏見のこの風景。
本当に素敵!



明治維新のメインステージ「寺田屋」着。



寺田屋は、庭園はフリーで入れます。



当時の井戸が、そのままの姿で。・



史跡・寺田屋。



寺田屋を後にして北上。
途中で警官が車に「立てこもって?」いる男を車から出そうとして、その車のガラスを激しく叩いている場に遭遇。
車は、前輪の片方のタイヤがありませんでした。
「立てこもって」いるのはホームレスなのでしょうか・・・・・?



鳥羽離宮跡通過。



鳥羽離宮跡って、こんな場所です



城南宮着。



城南宮のフリーゾーンには、美しい梅が。
三分咲きって感じでした。



有料ゾーンの庭園の扉が開放されていました。
何でかな〜。(^^♪



お土産用のお餅を搬入する業者さんが、車を乗り入れるために扉を開けていたようです。
了解を得て少しだけ有料ゾーンに入り、写真を撮影させていただきました。



偶然にも、若一神社前へ。



こんなものがありました。



若一神社境内の名水。



若一神社を後にして走っていると、またまた偶然が。
蚕の社前着。
少し寄ってみることにします。



三本柱の鳥居。
何度見ても、不思議・・・・。



蚕の社を後にして、蛇塚古墳へ。
この蛇塚古墳は、奈良の石舞台古墳よりも大きな古墳だったのです。



古墳が破壊されつくされてから、こんな形で「保存」されました。
京都府政の質の低さを垣間見る思いです。



雪が激しく降ってきました。
今日は偶然が続きます。
どこにあるか全然覚えていないのに、前にTOMさんに教えてもらった不思議な川に着きました。
川の立体交差。
この川は、向こうから水がゴボゴボと音を立てて流れてきています。
で、その先は・・・・・。



こうなっています。
向こうの水面が、上の写真の水面。
こちらから流れてきた水は、この川の下を通って、向こうの水面の高さに流れていきます。
もちろん、電動モーターなどは使っていません。
京都には、こんな不思議な川の交差があるのです。



愛宕鉄道鋼索線探索の最初の場所着。
ここ京福電気鉄道嵐山線の左側(北側)ホーム。
ここが、愛宕鉄道鋼索線道の始発駅だったのです。



北上します。



釈迦堂着。
詳しい場所は分かりませんが、この付近に愛宕鉄道鋼索線の「釈迦堂駅」がありました。



楽しそうなお店の前を通過。



化野(あだしの)念仏寺前通過。



間もなく、鳥居本。



鳥居本着。
愛宕鉄道鋼索線の3つ目の駅が、ここ鳥居本にありました。
でも、どこだったかは分かりません。



清滝トンネル。
鉄道トンネルの遺構なので、大型の車が通るのぎりぎり。
歩行者がいれば大型車は歩行者を追い越せないこともあります。
そんな時は、大型車がノロノロと歩行者の後に続いて徐行することも。



清滝トンネルの内部。



清滝トンネル出口。
清滝側出口付近は、自動車用トンネル仕様に補修されています。



清滝バス停付近。
モスラ号がいる辺りが、清滝駅の駅舎だった場所にあたります。



金鈴橋を渡ってすぐ右折。
自転車をとめておくのは、ここが一番いいスポット。
ここからは歩きになりますので、モスラ号はここでお留守番。



この鳥居をくぐらずに、右に行きます。



駐車場になっているこの場所から、上がっていきます。
軌道敷らしい直線が、上に伸びているのがよく分かります。



何とも言葉に表せない、すごい場所に行くって雰囲気に緊張。
でも上がり始めることにします。
軌道敷跡って雰囲気は、濃厚に漂っています。



レール点検用でしょうか。
階段の道が続きます。
ケーブル跡地は、迂回の山道以外は全て階段があります。
とっても歩きやすい道でした。



少し歩くと、最初のトンネル着!
1番目のトンネル。
ここは、通れます。



トンネルに入ります。
向こうに出口が見えていますが、トンネルの真ん中あたりは足元が見えなくなります。
このトンネルは懐中電灯が必要。



トンネルを出ます!
初めてのトンネルは、たった一人ということもあってとっても不気味な気がしました。
結局この日は、愛宕山の正面登山道に出るまでに誰にも会うことはありませんでした。
このコースを今日歩いたのはおそらく私一人だったんだろうなと、後で思いました。(>_<)



少し歩くと次のトンネルが見えてきました。
2番目のトンネルです。



2番目のトンネルも通行可能。
入ります。
最初のトンネルほど長くないですが、それでも途中で足元が見えなくなりました。
モスラ号用の電気を点灯。



2番目のトンネルを出ます。



段々と風化の具合がきつくなってくる気がします。



2番目のトンネルから、わりと長く歩いて3番目のトンネル着。
このトンネルは通れません。



トンネルを通れないので、トンネル手前のこの右側の道に入って入っていきます。
ここを上がっていくと、トンネルの上の出口に出られます。



踏み跡をたどっていきます。
当然、標識などは皆無。
標識はなくても、よく観察すると道は分かります。



3番目のトンネルの出口まで上がってきました。
さほどきつい山道ではありませんでした。



3番目のトンネル出口を越えて軌道敷を歩いていくと、高架のような場所がありました。



下に下りてみました。
軌道敷の荒れ具合にもかかわらず、橋脚は驚くほどしっかりとしていました。



4番目のトンネルが見えてきました。



4番目のトンネルに入ります。
ここは懐中電灯は不要。



4番目のトンネルを出てから後を振り返って、とっても驚きました。
入った下のトンネルと、出た上のトンネルの形が違うのです!
明らかに出て上のトンネルの方が横長。
4番目のトンネルを出てすぐに、線路跡は複線化されていました。
電車のすれ違い用だと思われ、この上ですぐにまた単線になっています。
それにしても、トンネルの入り口と出口が異なる大きさのトンネルとは・・・。
初めて見ました。



4番目のトンネルを出てしばらく上がっていくと、また高架がありました。



軌道敷から下に降りて高架の橋脚を見ると、今の高速道路と同じような雰囲気が漂うとっても迫力ある橋脚でした。
橋脚には、ほとんど風化の気配が感じられません。
何の手入れもせずに放置されたままなのに、本当にすごいなあって思います。



5番目のトンネル着。
ここは通れません。
右に迂回路があります。
その迂回路・・・・・。
傾斜が思い切りきつい!(>_<)
歩いていて前に手を伸ばすと、進行方向の木の根っこをつかむことができます。(@_@;)
それほどの急傾斜。
ここからこの5番目のトンネルの出口までの山道は、ケーブル跡探索コースで唯一の難コースだと言えます。



汗だくできつい坂を登りきりました。
道がはっきりしてきて、そして傾斜もかなり緩やかになりました。
時おり激しく降る雪が、少し積もってきました。
スリップに細心の注意を払いながら歩きます。



大杉林道と交差。
林道は歩かずに、直進します。
大杉林道を横切った後は狭くて傾斜している道で、しかも新雪が積もっていたので、木の枝につかまりながら慎重に歩きました。


激しく降る雪。
やっと5番目のトンネルの出口着。
きつい傾斜を上がったので、気温は氷点下と思われるのに汗だくです。



山道を終え、5番目のトンネルの出口付近から再び廃線跡のコースへ。
雪が、結構増えてきました。
でもゴジラ組の特殊部隊「歩き隊」は、この程度の雪は気にしません。
長靴を履いているので、ノー・プロブレム!



傾斜が結構きついので、スリップしないようにしながら標高を上げます。
ここにも小さな高架がありました。



益々、スリップに要注意!



ずっと雪が降り続いています。
6番目のトンネルが見えてきました。
これが、最後のトンネルになります。



最後のトンネルを通り抜けます。
このトンネルは懐中電灯不要。



最後のトンネルを通過。
通過後、後を振り返ります。



風化している軌道敷でしたが、崩落している場所はここまでは皆無。
でもここで、初めて崩落している軌道敷を目にしました。
ずっと右側を歩いてきましたが、右は崖になっていて危険なので、ここは左側を通ることにします。
誰もいない軌道敷跡。
ケータイは、圏外で使えません。
転落しても助けが来る可能性は皆無なので、気をつけなければ!



崩落場所を無事に通過。
後を振り返って、崩落場所を観察します。
ドンドン進む風化。
愛宕鉄道跡はこのように風化が進み、いずれは完全な「幻」になってしまうのでしょうね。



更に軌道敷の雪が深くなってきました。



雪雲の切れ間。
雄大な北山連峰を見渡せます。



誰もいない軌道敷跡。
北山の風景が、心を和ませてくれます。



最後の直線の登り。
前方にかすかに建物らしいものが見えてきました。
あれが愛宕駅なのでしょうか・・・・。



愛宕駅!
目的地に着きました。
登り始めてからここまでは2時間もかかりませんでした。



建物内にあるかもしれないアスベストに備えて、花粉用マスクを装着。
かなり風化した建物内の探索開始。
鉄骨が剥き出しになった柱が、廃線になってから61年の年月の長さを示しています。



建物内部。
窓枠などは全くなく、このようなベンチがあるのみ。
置いてあるベンチは当時のものではなく、登山者が登山記念に置いていったもの。
昭和4年に開通したケーブルカー線は、当時の最高技術で建設され「東洋一」と言われました。
時の移ろいに、思わずため息が。



二階の探索開始。
階段の下部がかなり風化しています。



二階内部。
一階と同じく、何もありません。



窓からは、京都市街が見えています。
かつてはここで、飲食を楽しみながら観光客やスキー客が談笑していたことでしょうね。
ふと、映画の「タイタニック」を思い出しました。



二階の窓からベランダに出てみました。



二階の天井には、石灰ツララがたくさんありました。
よく見ると、白だけではなく透明なツララもあります。
透明なツララは、氷のツララなのかもしれません。



二階の天井にも、風化を感じます。



建物には、地下があります。
でも、建物内からは地下に行くことはできません。
地下に行くために、一度建物の外に出ることにします。



地下室に入ります。



ケーブルカーの到着場所のようです。



機械室だったのでしょうか。
地下室は結構広い空間でした。



愛宕駅の探索完了!
駅舎を後にします。
登ってきた時と同じ進行方向で駅舎からほんの少し歩くと、左側に傾斜のない道があります。
そこを10分ほど歩くと、表参道に至ります。



表参道に突き当たりました。



表参道の下を望む。



表参道の上を望む。



この左側の道が、表参道から愛宕駅へ行く道。
表示など一切ありませんので、知らない人はまず行かない道だ思います。
「幻の愛宕駅」たるゆえん。
表参道に出て、登り始めてから初めて人に出会いました。
愛宕ケーブル跡登山では、結局誰にも会うことはありませんでした。



下山開始。
京都市街が一望の場所に来ました。



ワイド写真を撮りましたのでぜひとも写真をクリックして全表示させてから、ブラウザで最大サイズにしてご覧ください!
上の写真の上でクリックするとブラウザの機能で小さく細長い写真になりますので、その写真の中をポイントしてください。
すると写真の右下の大きくするマークが現れますのでそれをクリックしてください。
クリックすると写真が大きくなり、私が愛宕山から見た京都市街の風景の素晴らしさを共有していただくことができます。



愛宕山の激しい気象を表す、落雷跡。
今では、小さな神社になっています。



間もなく登山口。
先ほど登っていったケーブル跡が見えてきました。



右が愛宕山の表登山道で、左がケーブルの軌道敷跡。
今までこんなものがあることには気がつかずにこの道を歩いていました。



登山口着。



モスラ号と再開。



登り始めたので午後1時前。
下山して、京都駅近くの第一旭本店で、550円の「肉なし・野菜多め」の特大ラーメンの「昼食」を食べたのが午後5時前でした。(^_^;)
ラーメンをいただいた後、京都駅横を通過。
さて帰ろうっと。


愛宕ケーブル(愛宕鉄道鋼索線)が開業した当時(昭和4年)は、「山上の楽園ができた!」と新聞をにぎわせたようです。
険しい斜面に、当時の最高水準の技術を使って建設されたケーブル線。
前に山の壁があればトンネルを掘り、谷があれば頑強な橋を建設する。
急峻な斜面をものともせず建設された愛宕ケーブルは、素晴らしい技術の結晶だったと実感します。
しかし戦争の激化に伴い、ケーブル線は廃止され、線路など鉄製の物は撤去され戦争で使う砲弾などの軍用資材に姿を変えてしまいます。
愛宕鉄道の嵐山駅は京福電鉄嵐山線として残ったものの、愛宕ケーブルは戦争が終わっても再建されることなく今日に至っています。
歴史の証人になったような気がしたこの日の走りでした。
京都。
実に驚くほど様々な顔があります!
愛宕ケーブル跡も、その一つ。
ーブル鉄道跡が風化するのは致し方ないにしても、戦争になると私達の生活はどのようになるのか。
その記憶だけは、決して風化させてはなりません。
戦争の直接的な被害だけではなく、戦争が始まれば多くのことが犠牲になり、「日常」が私達の身の周りから消滅してしまいます。
戦時中に殺された動物園のゾウ達も、そうした犠牲の一つ。

風化し廃墟と化した愛宕駅は、戦争になれば人々の暮らしがどうなるのかを盛んに、私に そして皆さん方に訴えている。
愛宕駅舎内を探索しているうちに、ふとなぜかそんな気がしてきました・・・・。



チャリ旅3へ戻る




inserted by FC2 system