今日は、愛宕鉄道と愛宕ケーブル(愛宕鉄道鋼索線)の跡地ツアーを行いました・
作戦名「デンシャゴッコ」の今回の山岳遊撃作戦は、ゴジラ組正規軍・山岳遊撃特殊旅団(のらくろ戦隊)の初の大規模な山岳遊撃作戦になりました。

本日の走行距離、約60km(正確には60.66km)+愛宕ケーブル跡と愛宕山下山ウオーク(距離約7km)。


2005年3月21日(月)





自宅を出てひた走り北上。
途中で、こんなおもろいのを見つけました。(#^.^#)



鴨川を渡ります。



鴨川を渡った後、京都南電電会館・国道1号線方面へ。



愛宕山が見えてきました。
あそこに、遺構が未だに残っていることがほとんど人々に知られていない、正に「幻」と言っていい愛宕ケーブル跡が存在しているのです。



松尾に近づきました。
走っていると、何だかサクラのような花が満開。
「梅かな」と思ってよく見ると、何とそれはサクラ!
満開を過ぎて、「落下盛ん」という時期でした。



昨日、京都市南区の光徳公園で見たサクラの花に続き、2日連続でサクラの花を見ることができました!



松尾橋西詰着。
ゴジラ組正規軍・山岳遊撃特殊旅団(のらくろ戦隊)の花傘キンニクン副隊長が、既に来ていました。



ほどなく、犬夜叉隊長と奈良市民さんが到着。
「ゴジラ組正規軍突撃隊・斬り込み隊長のBINさんは遅いな〜。道路が車で渋滞しているのかな?」などと言いながら待つこと10分以上。
あまりに遅いので、BINさんのケータイに電話すると、「まだ家にいます」ですって。(>_<)
そんなこんなで、ほどなくBINさん登場。
今日作戦を展開する作戦名「デンシャゴッコ」参加者5名が全員無事に集結。
少し走って、渡月橋に着きました。



渡月橋を利用しての「大堰川渡河作戦」を展開。
簡単に言うと、渡月橋を渡lったってことです。(^_^;)



京福電鉄の嵐山駅着。
電車の至近に近づき、低いアングルから電車を撮影。
犬夜叉隊長の偵察の成果で可能となった撮影です。(^_^;)
ここまで火の用心さんが駆けつけてくださり、素敵なチョコの差し入れをいただきました!
火の用心さん、ありがとうございました。(*^_^*)



150円払って、嵐山駅の足湯へ入場。
嵐山駅に入る料金は不要で、しかも150円払うと持ち帰り自由のタオルがもらえます。
駅構内に入り、さっそくホームを観察。
これしか編成されていないという、珍しい電車「モボ」を発見!



なぜか、モボの運転席に入ることができました。
だって、いつの間にか運転席のドアが開いてモボが「オイデオイデ」していたんだも〜ん。(オイオイ)
犬夜叉隊長に感謝!



このモボが停まっている北側ホームが、かつての愛宕鉄道のホームだったのです。



さてさて。
次は当然、温泉ですがな。(^^♪



いい湯だな〜 ハハン♪ いい湯だな〜 ハハン♪(*^^)v
足湯につかりながら、入ってくる電車や出て行く電車を眺めます。
列車の本数が少ない京福嵐山駅構内が足湯を作ることができるほど広いのは、愛宕電鉄が会った当時は嵐山電車軌道と愛宕鉄道がそれぞれ複線だったため。
嵐山駅からほんの少しの区間だけですが、当時としては珍しい複々線の線路がこの嵐山駅からは伸びていたのです。



足湯から上がりました。
面白い「お漬物電車」発見。



次は、「生茶電車」。(#^.^#)
普通の電車より、こんなものの方が楽しいでっす!



京福電鉄嵐山駅を後にして少し走り、駅東側の踏み切り付近から嵐山駅を撮影。
この嵐山駅の右半分を愛宕鉄道が、左半分を嵐山電車軌道が使っていました。



踏切から嵐山高架道路を望む。
愛宕鉄道はここの少し先から左にカーブし、向こうに見える嵐山高架道路の左側の部分へ至っていました。



嵐山高架道路。
高架道路は、愛宕鉄道の線路跡に建設されました。
愛宕鉄道は高架ではなく、この道路の高さで走っていました。



高架道路を上がらないと、JR嵯峨野線を越えられません。
自転車を担いで、嵐山高架道路を上がります。
この付近に、嵯峨西駅がありました。



嵐山高架道路は自転車通行禁止。
でもJR嵯峨野線を越えるため、この位置で歩道部分のみ自転車を担いで嵐山高架道路を通ることができます。
あれ?BINさんと犬夜叉さんがいない・・・・。



BINさんと犬夜叉さんを発見。
この場所の下見をしてくれていました。
ここからは、嵯峨西駅があった付近をしっかりと見ることができるのです。



鉄道跡の清滝道に入ります。


釈迦堂駅があった付近。
「右側に見える建物辺りが釈迦堂駅だったようだ」と、まゆ村の村長さんに教えていただきました。
まゆ村の村長さんがかわいい幼稚園児だった頃の記憶だそうです。(#^.^#)



こんな物がありました。
電車の電線を支えるための柱跡のようです。



鳥居本駅があった辺り。



この階段は、鳥居本駅を下りた人達が愛宕道に向かうためのものでした。
当時の詳しい様子などを、また機会があれば「まゆ村」の村長さんに聞くことができればいいなと思います。



鳥居本の、のどかな風景。
ここも京都市内なのです。



清滝隧道(ずいどう)着。
ここは愛宕鉄道のトンネルでした。
軍事用に使うために線路が撤去された後このトンネルは三菱航空機・機体工場第14工場となり、敗戦までの期間毎日500人もの人がこのトンネルの中で働いていたそうです。
このトンネルは現在「心霊スポット」だとか何とか言われたりもしています。
でも私は深夜にたった一人で何度かこのトンネルを通っていますが、別に何も出ませんでした。
カーブが多く長くて昼間でも暗いこのトンネルは、「何かいる」「何か見える」などといういわば「自己催眠」を知らず知らずにかける条件は揃っていると言えますがね。
え?「真夜中にたった一人でこのトンネルを通る」という行動自体がおかしいですって?!
そ、その通りですね。(^_^;)
でも、自転車で本格的に乗り始めてからも何度も登っていた冬の愛宕山。
雪で時間が思い切りかかって愛宕山からの下山が遅くなることもあり、通りたくなかったけれど仕方なく通ったんだだも〜ん。(~_~)



清滝トンネル内部。



清滝側トンネルは増設された部分があり、その部分は元のトンネルとは形状が異なっています。



清滝駅跡。
この車が駐車している辺りが、清滝駅ホームのあった部分です。



清滝駅があった付近は、京都バスの駐車場とバス停になっています。
付近を観察すると、明らかに電車のレールを使ったものである構造物があります。
わざわざこんな所まで鉄道のレールを持ってくるはずがありません。
愛宕鉄道のレールの可能性が濃厚。



ここにもレールが。



ここにも。



清滝川を渡ります。



この猿渡橋を越えて少し歩けば、愛宕神社表参道入り口の鳥居の所に行くことができます。



清滝川を右手に見ながら少しだけ上流に進みます。



対岸に、清滝発電所が見えてきました。
この水力発電所は、愛宕鉄道にも電力を供給していました。



駐車場の番をされておられた地元の方に、この辺りが清滝遊園地だったと教えていただきました。



元・千葉真一道場のすぐ横に、この「テラス休憩所」があり 無料で利用できます。
ここで昼食を摂ることにします。



テーブルと、ゆったりとした椅子もフリーで使えます。



以前「牛若丸ゆかりの地巡り」で鞍馬に行った時に買った「木の芽煮」を握りこんだおにぎり、玉子焼き、焼きうどん。
料理の腕を振るって作った昼食を、いただきま〜す!(^^♪



こちらはBINさんのコンビニ弁当!(^^♪
お、おいしそう。



こちらは、火の用心さんからの差し入れのチョコレート。(#^.^#)



みんな仲良しゴジラ組。
弁当を分け合って、和気あいあいと食べました。
昼食を食べ終わって、さて出発!!



愛宕ケーブルの清滝川駅のホームに上がる階段を上がります。



当時のお客さんはきっと、美しい風景と目の前に見えてくる愛宕ケーブルに胸を弾ませながらこの階段を上がっていったことでしょう。



愛宕ケーブル・清滝川駅跡。
この写真の左側のあたりに駅舎がありました。



愛宕ケーブルの線路跡にいよいよ入っていきます。



写真左側に見える線路跡は土砂や草木などで埋まってしまっていますが、両側の石垣と保線用の階段はしっかりと残っています。



鉄製の構造物も、さほど風化しないで残っています。



最初の高架部分が見えてきました。



高架の上を通過。
ここまでは、線路跡左側に表参道が平行して続いています。
この橋梁から先は、表参道とは完全な別ルートになります。



第1トンネル着。



さほど風化していないように思えるトンネル内には、かなり大きな亀裂が。



架線をかけるためのフックが、トンネル側面に何箇所にも残っています。



トンネル天井には、やはり架線を吊り下げるためと思われる金属製の物があります。



第1トンネルを出ます。



出てから第1トンネルを振り返ります。



程なく第2トンネルへ。



第2トンネルを抜けます。



2番目のトンネルはしっかりしているように見えますが、天井に直径10cmほどの穴が開き、そこから土砂がトンネル内に流れ込んだ跡が残っていました。



まぶしいほどの日差しとは対照的な、風化した線路跡。



まだ新しく、コンクリートのねずみ色が生々しいひび割れ跡。
劣化がドンドン進行していることがよく分かります。
この割れ目には、冬になると水分が入り込んで夜間に凍りつき、膨張した水分が割れ目を広げます。
冬以外の季節には、酸性雨が容赦なく入り込みます。



第3トンネル着。
崩落しているので、通れません。



トンネル内の崩落現場。
大量の土砂にトンネルが埋まってしまっています。



トンネル上部の、崩落したと思われる部分。
かなり凹んでいます。



少し(^_^;)道を間違ったものの、無事に巻き道を通過して第3トンネルの山頂駅側着。



第3トンネルからの上部は、少しの区間ですがこのように大量の土砂で埋まってしまって、保線用の階段も見えません。



3番目の高架部分。
下りて観察することにします。



3番目の橋梁の下部は、上部の風化からは考えられないほどしっかりとしています。



次に第4トンネルへ。



かなり短い第4トンネル。
でも天井には、こんなに大きな亀裂が。
しっかりしているように見え、今でも通れるこの第4トンネル。
でも、もう崩落するのは時間の問題です。



第4トンネル内部の山頂側は、電車のすれ違い用に複線仕様になっています。



トンネルから出てくる、山岳遊撃特殊旅団のらくろ戦隊長とと副隊長の雄姿。



第4トンネルは、山頂側が複線。
ゆえに、清滝側と山頂側ではトンネルの入り口の形が異なっています。
山頂側の方が明らかに横に広くなっていますが、これはトンネルの山頂側が複線仕様のためです。



風化した線路跡を、更に登ります。
第4橋梁着。



第4橋梁も、風化した上部とは異なりとてもしっかりとしています。



更に標高を上げて、第5トンネル着。
この第5トンネルも、第3トンネルと同様に崩落のため通ることができません。



強烈な登りの巻き道を上がり、第5トンネルの山頂側着。



第5トンネルの山頂側は、倒木がまるで入ってはいけないことを告げるかのように覆いかぶさっています。



第5トンネルを後にして、第5橋梁着。



第5橋梁の下部も、とってもしっかりとしています。
しかし、山側から崩れてきた土砂で橋脚がかなり埋まっています。



程なく、第6トンネル着。
これが最後のトンネルになります。



とっても短い第6トンネルでも、天井にはこのようなひび割れが入り水が上部から滲んできています。



第6トンネルを後にします。



第6橋梁通過。
谷側が崩壊しています。



第6橋梁の上からは、素晴らしい風景が楽しめます。
遠くには、雪をかぶった比良山系の雄大な姿も目にすることができます。



ケーブルカーの乗客は、きっとこの風景を見て歓声を上げたことでしょうね!



線路跡には、この様な金具が。
当時のものであることは、ほぼ間違いありません。



愛宕ケーブルの愛宕駅着。



駅舎に入ります。



線路が撤去されてから60年もの間、吹きっさらしで放置された愛宕駅。
それでもこの木造部分が腐っていないのは、コンクリート製の建物の屋根があったからなんでしょうね。



変色して、鉄骨が剥き出しになった柱。



ゴジラ組山岳遊撃特殊旅団のメンバーが、作戦名「デンンシャゴッコ」の一環で駅舎内を探索。
でもみんなの表情を見ていると、とっても暖かいものを感じました。
朽ち果てゆく駅舎をまぶたの奥に焼き付けるかのように、みんな駅舎内を歩き回ります。



明るい日差しに照らされる駅舎内。



60年の歳月。
真夏の暑さと、そして真冬の寒さと積雪。
激しい気象に晒されながら、よくぞ今まで持ちこたえてきたものです。



2階へ上がりました。
この窓は、ケーブル線路の方向のものです。
窓から外の風景が見えています。
木々が茂っていなかったら、麓がとってもよく見えていたんだろうなあって思います。



この2階は、食堂として利用されていました。



天井から垂れ下がる石灰ツララ。
3週間ほど前に来た時には、石灰ツララのほかに氷のツララもいっぱい垂れ下がっていました。



2階のバルコニーに出て、上を見てみました。
かなり風化していますが、それでも2階の屋根に上がる鉄梯子もしっかりと残っています。



風化した階段を下りました。
鉄骨の下部のコンクリートは全て崩落しています。



外部の柱。
この柱が持ちこたえられなくなったら、室外の天井部分は崩落してしまいます。



愛宕駅舎は、地下1階地上2階の3階建ての建物でした。



しばしの間、駅舎を眺めていました。
胸がキュンと締め付けられました。



地下に向かいます。



ケーブルカーが到着する場所。
ほとんど風化せずじつにどっしりとしたこの場所。
やってくるはずのないケーブルカーの到着をまるで今日も待っているかのようです。



地下は機械室でした。
でも線路が撤去されたのと同じ理由、戦争用の鉄製品の供出で撤去されたのでしょう。
何一つ残っていません。



地下の機械室から、1階の木造部分を見上げます。



ここからケーブルカーが上がってきました。



地下室から出ました。
愛宕駅周辺には、このようなコンクリート製の基礎が いくつかあります。
何かの施設があったんんでしょうね。
基礎以外は跡形も残っていないので、今ではかつてここに何があったのかは想像することさえできませんが・・・・。



愛宕駅を後にします。
次は、愛宕ホテル跡へ向かいます。



碍子のようなものを見つけました。



愛宕ホテル跡着。



愛宕ホテル内へ。



表参道側入り口。
入った正面に、石造りの構造物が残されています。



フロント跡と思われる場所。
ホテルマンが「いらっしゃいませ」とにこやかに頭を下げながら、お客様をお出迎えしていたことでしょうね。



トイレ跡らしき場所。
もちろん、匂いなど全くしません。
60年という歳月が、全てを土に戻しました。
このコンクリートも、いずれは土に戻ることになります。



風雪に耐えてきた愛宕ホテル跡。
一日でも長く残って欲しいなあ・・・・。



素敵な、窓から外の眺め。
このホテルが現役だったら、きっと私は無理してでも泊まりに来ただろうなって思います。



その存在さえ、ほとんど忘れられてしまった愛宕ホテル。
ゴジラ組正規軍・山岳遊撃特殊旅団「のらくろ戦隊」員は、その存在をしっかりと胸に刻みました。
そして我々の思いは共通していました。
その我々の思い。
その思いは、犬夜叉隊長の「愛宕ケーブルが再建されたらいいのに」の言葉に尽きます。



愛宕ホテル跡の次は、ヒユッテ(バンガロー?)跡へ。



飯ごう炊さんをしていたような場所跡。



愛宕ホテル跡を後にして少し歩き、旅館・水口屋跡着。



水口屋跡には、このようなケーブルが今でも残っています。
引っ張ってもビクともしません。
60年以上経過した今でもその頑強さ。
驚きました。



知らない人がこれを見ても、おそらく何も感じないことでしょうね。
でも私達は違います!
当時の盛業具合が、まぶたに浮かびます。
山岳遊撃特殊旅団員は、今日は実に多くのことを学びました。
このコンクリート製基礎は、旅館・水口屋がかつてここにあったことを私達に訴えています。
私達は、その訴えを正面から受け止めます。
そう!
「旅館・水口屋がかつてここにあったことを、今日ここに訪れた私達は全員確認し、そしてそのことを胸に刻みました!!



水口屋はかなり大きな旅館だったようで、コンクリート製の基礎が長く伸びていました。



ふと横を見ると、人影が!?
そのはず。
水口屋跡のすぐ近くは、もう表参道なのです。



水口屋跡を後にして、表参道に出ました。



7合目の展望台着。
ワイド写真を撮りましたのでぜひとも写真をクリックして全表示させてから、ブラウザで最大サイズにしてご覧ください!
上の写真の上でクリックするとブラウザの機能で小さく細長い写真になりますので、その写真の中をポイントしてください。
すると写真の右下の大きくするマークが現れますのでそれをクリックしてください。
クリックすると写真が大きくなり、私が愛宕山から見た京都市街の風景の素晴らしさを共有していただくことができます。



小さな社前を通過。



表参道沿いには、こんなものも見られます。
ここも、何かの跡地のようです。



犬夜叉さんは、最初の愛宕ケーブル跡巡りで道を間違い、結局ここに上がってきたそうです。(^_^;)



愛宕山の気象の厳しさを如実に示す、落雷跡。
今ではここは、神域になっています。



表参道を下って、愛宕ケーブル跡が見える所まで戻ってきました。



自転車をとめてある場所着。
ゴジラ組正規軍・山岳遊撃特殊旅団員の帰還を待っていた自転車の車列が目に飛び込んできました。
お待たせ〜!



犬夜叉隊長の「キララ号」の雄姿。



モスラ号の鍵を外します。



ん?!
何だろう・・・・。
モスラ号の前かごに、とっても可愛いリボンが!!
これ。
Nさんが付けて下さいました!
>下りてきたら、モスラちゃん、キララちゃん、皆さんの愛車が、
>お利口さんに、並んでいました。
>嬉しくなって、モスラちゃんに黄緑のリボンを。
>(勝手に、つけて、ごめんなさいです)
Nさんのこの掲示板への書き込みが、とっても嬉しかったです!(^^♪



のらくろ戦隊。
目的を終えて、帰宅モードに。
愛宕(おたぎ)念仏寺前通過。
とっても濃い、今日の一日でした!!





ゴジラ組正規軍・山岳遊撃特殊旅団(「のらくろ戦隊)」)。
総動員体制でのデビューになりました!!

愛宕鉄道&愛宕ケーブル。
再建される事は、もうあり得ない。
でも、今日はその「幻の愛宕鉄道・ケーブル」の真実に迫ることができました!!
愛宕ケーブルのトンネルが全て崩壊しても。
愛宕駅跡が土に戻っても。
愛宕ホテルが跡完全に消え去っても。
水口屋跡が分からなくなっても・・・・。
愛宕鉄道と愛宕ケーブルは、私達の心の中でいつまでも生き続けます・・・・。
のらくろ戦隊は、愛宕鉄道・ケーブルが存在したことを実にしっかりと確認することができました!!
愛宕鉄道・愛宕ケーブルバンザ〜イ!


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