前から妻と、「子ども全員の大学受験がうまくいって終わったら、その年には一緒に桜を見に行こう!」と約束していました。
二男の大学受験が成功裏に終わり、年子3人の我が家の学校受験は完全に終結しました。
そこでこの日妻と共に京都の素晴らしい桜を満喫し、1年前からの約束を嬉しい形で果たすことができました。
ました。

本日のウオーキング距離。約5km。

2005年4月9日(土)




地下鉄で今出川へ。
御所内北西の児童公園近くにある目的の桜までやって来ました。



ワイド写真を撮りましたのでぜひとも写真をクリックして全表示させてから、ブラウザで最大サイズにしてご覧ください!
上の写真の上でクリックするとブラウザの機能で小さく細長い写真になりますので、その写真の中をポイントしてください。
すると写真の右下の大きくするマークが現れますのでそれをクリックしてください。
クリックすると写真が大きくなり、私達が京都御所で見た素晴らしい桜の美しさを共有していただくことができます。



この桜の美しさを表すことばは、ありません。
どうご、御所の桜の美しさをお楽しみください。















京都御所の一般公開が行われていました。
入って見ます。



以下、解説なしで写真のみで紹介していきます。
だって、私はこういった知識はほとんどないもので。(^_^;)
私達が歩いた順路で、皆様も写真でお楽しみください。


































































きれいなお花が生けてありました。



一般公開されている場所にも、数は少ないものの美しい桜の花がありました。



御所から出ました。
お腹がぺこぺこ。
どこで昼食にしようか考えましたが、前にも行ってとってもおいしかった「タイ料理」の店へ。
1200円で、ランチバイキングができるんです。(^^♪



おそらく、タイの人が経営しているのでしょう。
なまりのある日本語を使って、店の方が応対してくださいました。
とってもエキゾチックな店内。



店のテレビには、タイの人気歌手なんでしょうか若者が歌いながら踊っているのが放映されていました。



空腹に加え香辛料が食欲をそそって、思い切り食べました。
満腹で外に出たら、もうランチタイムは終わっているようでした。
「closed」の表示が。



今出川駅から地下鉄に乗り、北山駅へ。
北山で下りたものの、疎水分線の場所が分かりませんでした。
500mほど歩いても分からないので、近くで洗車していた人に場所を尋ねて、やっと松ヶ崎疎水分線着。



松ヶ崎疎水分線沿い。
素晴らしい桜並木が延々と続きます。



以下、松ヶ崎疎水分線沿いの桜の風景をどうぞお楽しみください。















高野川着。
高野川沿いにも、美しい桜が連なっています。



次の目的地は、高野川沿いの桜でもなければ半木(なからぎ)の道の桜でもあリません。
平野神社です。
平野神社着。



「御所の桜」「松ヶ崎疎水分線沿いの桜」、そして「平野神社の桜」。
その3つが今日の目的地。
平野神社の桜も最高!



空が見えにくいほどの桜。
以下どうぞ、その平野神社の桜をお楽しみください!






ひときわ色鮮やかな桜がありました。



近くの学校の子どもが描いた かわいい絵が、桜と一緒に楽しめました。(#^.^#)



他の木と同じような幹なのに、花の密度がとってもすごい木がありました。
花の美しさが際立っていました。



平野神社を出ます。



鳥居の近くに、これまた素晴らしい花が咲いている桜の木がありました。



ここにも!



桜の花に圧倒されっぱなしだった平野神社を後にします。



平野神社を後にして北野天満宮へ向かいます。
途中で、「御土居」跡に寄ってみました。



北野天満宮着。
末っ子の受験の成功を報告し、お礼を言いました。
牛さんがおられます。(#^.^#)



北野天満宮境内のこの大黒様。
鼻の穴が異常に大きいですね。
そのいわれは・・・・。
この辺りに住んでいた博徒が大黒さんの頭から砂をかけたところ、大もうけしたとか。
そのことを知ったほかの博徒はおろか一般の参詣者までが、「お金が貯まりますように」と砂をかけるようになったと言われます。
そしていつしか鼻の穴(えくぼ)に小石を詰めるようになり、鼻の穴は次第に大きくなり、とうとう大黒さんの鼻の穴はこのようになりました。
今日も鼻の穴の下の地面には、掃き清められた境内なのにここだけには小石がいっぱい落ちていました。
恐るべし!賭博大好き人間のど根性。(^_^;)



愛嬌ある牛さん。(#^.^#)



北野天満宮境内にある真言宗東向観音寺。
その境内に、この土蜘蛛塚が置かれている事はほとんど知られていません。
この石灯篭は、源頼光の「土蜘蛛退治」と関係があるもののようです。
元々はここに「あったものではなく、一条七本松の辺りにあったようですが、様々な経過を経てこの観音寺に納めらました。



大和朝廷が、先住民を邪魔者扱いして駆逐していく。
そんな構図が見えてくるような気がしました。
学校の勉強で歴史が嫌いだった私が、自転車で走っていて歴史の様々な生の姿が見えてきて、なぜか歴史が好きになりつつあるような気がします。


素晴らしい、京都市街地の桜。
花見の習慣は、京都から始まったそうです。
心から感動した美しい桜。
京都って、本当に素敵です!



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