今日は、神戸へ行く予定で出発。
しかし時間が遅くなり、神戸行きは断念。
神戸行きの代わりに、ホープさんの案内で「多田銀銅山」へ。
帰路では尼崎のJRの事故現場に寄り、お線香を供えて手を合わせました。
「悪」と断言してもいいJRの経営姿勢。
心からの怒りを感じました。

本日走行距離、約165km。(正確には163.66km)


2005年5月4日(水)





京阪八幡市駅前着。
BINさん、まむくん、そして初参加のOさんと無事合流。
総勢4名で、出発進行〜!



京阪八幡市駅前から30分程で枚方大橋着。



枚方大橋下で、小休止。



淀川新橋下通過。



鳥飼仁和寺(とりかいにわじ)大橋下通過。
夏場の日が長い時期には、ここらあたりまで夕刻トレーニングで来ることもあります。



大阪モノレール鉄橋下通過。



順調に距離を稼ぎます。
豊里大橋下通過。



菅原城北大橋着。
この付近には、ワンドが多く見られます。



城北大橋南詰近くにある「千人つか」に手を合わせます。
日本未曽有の大敗戦の昭和20年6月7日残存せる大阪を壊滅せる大空襲により戦災死者数万人中身元不詳の千数百の遺体を此処に集め疎開家屋の廃材を以って茶毘に付す
鬼哭啾々たる黒煙天に柱し、3日3晩に及ぶ 悉く市民の奉仕協力による 遺骨はその侭土中にして此処に葬る 訴うるに声無き無辜の国民の痛恨の空しく土に埋れ草に掩われて世に忘れ去られんを憂いて巷間の義人東浦栄二郎氏庭石に唯千人つかと刻して此処に置く
進駐軍治下と近畿地建の管理地なるを以てなり
爾来30有星霜香華絶ゆる事なきも世人この塚の謂われを知らず 茲に其の由来を刻しこの地下に眠る無事無縁の霊位の冥福を祈り国家安泰と軍官専横苛政による国民塗炭の痛恨と犠牲の再現を永く阻止し世界人類の和平を祈願する日本国民の総意を世に問うものなり

千人つか由来記」より。
1945年6月7日の11時9分〜12時28分の約1時間半に409機ものB29が大阪を空襲し、大阪の街は想像を絶する大被害を受けました。
爆撃による都心の火災から逃れて城北公園や長柄橋の淀川岸に避難した老人や幼子を含めた多数の人々に対して、アメリカのP21戦闘機が執拗な機銃掃射を行い多数の人命が失なわれました。
日本本土奥深いこの城北公園の上空を、アメリカの空母から離陸したP21戦闘機が我が物顔で飛びまわっていたというのが、あの戦争末期の実態。
戦争を起こした政治の醜悪さと「大本営発表」の無責任さを、今更ながら痛感します。
負の歴史は決して繰り返してはなりません。



城北公園を後にして赤川鉄橋(18門鉄橋)へ。
この鉄橋の正式名称は淀川橋梁で、人道橋の正式名称は赤川仮橋。
城東線の旅客化・複線化に伴って、近い将来この人道橋は撤去される運命。



毛馬着。
出発してから2時間ほどでした。
ここで、まむくんとお別れ。(ToT)/~~~
総勢3名に。



新十三大橋を渡り、淀川右岸を目指します。。



雄大な淀川。



「少し」道に迷いながらも、何とか伊丹空港着。



連写モードの使い方が分からないので、着陸する飛行機をうまく撮れませんでした。(T_T)
ここで、Oさんとお別れ。(ToT)/~~~
しかし、ホープさんと合流。
メンバーが入れ替わったものの、総勢3名のまま。



飛行機の誘導灯を見ながら、猪名川を目指します。



緑いっぱいの、猪名川沿い自転車歩行者専用道。



初めて走る道。
とっても走り易い素敵な自転車道です。



雄大な風景。
左が阪神高速池田線の橋、右が池田市のさつき山。



阪神高速の鉄橋を少しだけズーム。



さつき山も少しだけズーム。



楽しいお食事、ランララン〜。(^^♪
熊本ラーメンの店に入りました。



猪名川が上流っぽくなってきました。



多田神社着。



御社橋を渡ります。



御社橋の上から見る、猪名川上流。



多田神社は工事中。
多田神社の境内には寄らずに猪名川を更に溯ります。



このあたりは、今がフジの花の盛りを迎えていました。



道沿いに咲くフジの花が、我々の目を楽しませてくれます。



多田銀銅山着!



まずは情報収集。



銀山橋。



ん?!
石仏のようなものが・・・・・。



重たいのに、がんばっておじゃる。



代官所跡に行こうかと思ったんですが、ホープさんに言わすと「薄汚い原っぱで何もない」とか。
代官所跡には寄らずに、先へ進みます。



鉱山。
山全体が1つの大きな岩のように見えます。
岩の上に木が生えていることがとっても不思議な気がしてきます。



金山彦神社着。



解説板。



いざ!
銀山坑道内へ。



ここは後から行こうっと。



公開!
多田銀銅山坑道内部。



この坑道は、機械掘りのもの。
奈良大仏の鋳造に使われた歴史の古い鉱山ですが、1969年頃まで採鉱されていました。



この石の中には、金・銀・銅を初めとした希少金属が含まれています。
採算が合わないので採掘は中止されたのでしょうね。



この鉱山跡は時間は日中だけに限定されていますが、入場フリーです。



坑道内の案内板。



坑道から外に出ます。



坑道の外の案内板。



手堀りの坑道跡。
あんな狭い場所に入って採鉱していたなんて・・・・。



解説。



興味をそそられます。
危険なので私達は入りませんでしたが、この柵の右側には隙間があり踏み跡ができていました。
ここから奥は、自己責任の世界です。



柵の内側ではありませんが、旧鉱のようなものが見えています。



鉱山跡に別れを告げます。



金山彦神社前通過。



遠い場所へ来たような、そしてとっても不思議な風景。



平炉跡。



銀山の代官所の門が残っているようです。



これがそうです。
民家の門として使われているようです。



再び猪名川沿いを走ります。



猪名川の清流。



猪名川を後にして、帰路で尼崎のJR事故現場に寄りました。
JRの事故現場に慰霊のお線香を届けて、手を合わせるためです。
ひどい状態で、そしてとっても寂しげな事故現場。
見るたびに辛く悲しくなるなるので、事故現場の写真のアップはやめます。
それにしても、JR経営陣の腐りきった姿勢。
線路の復旧は今後可能でも、経営陣の腐りきった心は復旧できない・・・・。
不当労働行為を繰り返し働く者を虫けらのように扱って、正常な判断ができない職員を量産し続けてきたJR経営陣。
その結果、実に多くの犠牲者・被害者を出しました。
JRの現経営陣は、犯罪者集団と言ってもあるいは言い過ぎではないかもしれません。
現場では特急電車が止まったままでした。
その特急の運転士が機転を利かせて運行されている列車に事故のことを連絡し、2重事故3重事故が防げました。
ちなみに、運転指令所からは各列車に「事故があったので停止するように」との指示は一切発信されていなかったそうです。
事故現場で、お線香を供えて手を合わすと悲しさで目頭が熱くなり、そしてJRの経営陣に対しての怒りが込み上げてきました。




家路につきます。
なにわ自転車道を美しい夕陽を見ながら走ります。



ん?
夕陽を背に受けた石原裕次郎のような青年が・・・・。



「夕陽が背中を押してくる」なんて考えながらペタルを踏みます。



日没。
ここで、ホープさんとお別れ。(ToT)/~~~
総勢2名に。
ここからは私と第1号組員のBINさんという、ゴジ組結成直後のいわば「基本形」での走りになります。



オレンジ灯が美しい鳥飼仁和寺大橋。
BIN組員と共に淀川左岸に渡ります。



予定より早く、京阪電車八幡市駅前着。
ここで、BINさんとお別れ。(ToT)/~~~



赤提灯を眺めながら、自宅目指してペタルを漕ぐ足に力を込めます。



聖神中央教会前通過。
驚くことに、活動再開を隠さなくなっていました。
集会が開かれているようです。
あるいは、集会の練習でしょうか。



「立ち上がれ 福音を語れ!」と書いてあります。
スローガンが書かれた上の部分では、体を動かしながら手を「シュピレフコールのように振り上げている青年の姿が見えました。
「逆境にめげず益々信仰心を高める」なんてお門違いの自己満足にひたってでもいるのでしょうか。
主管牧師の婦女暴行は「個人の責任」だったということでしょうね。
JRの事故と似ています。
個人の責任でなく、そのような行動を取ってもだれも諌めようとしなかった組織の責任のはず。
牧師の暴行を「だれ一人知らなかった」はずがありませんもの。


いい天気の一日。
銀銅山という初めての場所に行くことができ、素晴らしい走りになりました。
そして「仲間っていいな」って心から思いました。

JRの事故現場に立って、腹立たしさと悔しさが心にこみ上げてきました。
職員に対して精神的暴力を繰り返し、その結果ロボットのように会社の言うことだけ従順に従う職員を作り上げ、安全面を軽視し続けてきたJRの経営陣。
事故現場だけでなく各地に存在する新型ATS未設置箇所の工事予算を計上せず危険を放置する一方で、経営陣12人が半期で1億1千万円ものボーナスを受け取る予算を計上する。
まるで、盗人です。
何より重い人命までもが、彼らに盗まれました。

事故の全ての責任は、JRの経営陣と幹部にあります。
その経営陣、辞任の意向は持っていないとか。
それどころか、経営陣の何人かは経済団体の役員にこれから新たに着任する予定さえあるとか。
浅ましい姿をテレビに晒すJR幹部。
JR幹部は、まともな人間の心を持たない さながら鬼だと私には思えてきます。
そんなにもおぞましい人間に我々は今まで安全を託してきたなんて・・・・・。


チャリ旅3へ戻る



inserted by FC2 system